「スカルノのジャカルタ(45)」(2026年03月06日)

歓迎の像の制作はエディ・スナルソ率いるアルチャファミリー彫像チームの7人が196
1年8月17日に開始し、一年かけて完成させた。制作者は一度人体の高さ7メートルの
ものを作ったが、スカルノが大きすぎるとして首を横に振ったため、全体高を7メートル
に縮小してスカルノの笑顔を受けたというエピソードがこの像の歴史に付随している。

ブンダランハーイーの完成式典はホテルインドネシアの完成式典とセットにして行われた。
ホテルインドネシアとロータリーはひとつのものという意識が社会に流れていたのも事実
だろう。一方、歓迎の像の完成式典は1962年8月17日だったようだ。

オルバ期の終末が近付いたころ、ブンダランハーイーはアンチオルバ・アンチスハルトを
訴える諸勢力の桧舞台に使われた。デモ隊参加者がブンダランハーイーに集まると、噴水
を囲むプラザでアクションを起こしてからタムリン通りをデモ行進して北ムルデカ通りに
入り、大統領宮殿前で再び垂れ幕を掲げてシュプレヒコールを叫ぶというパターンが定形
化した。ブンダランハーイーが政治の舞台という機能を持ち始めたのだ。

その習慣がある期間維持されたあと、世の中に何かをアピールしたいさまざまな集団がそ
の舞台を利用するようになった。中には即席ドラマやストリートハプニングを演じるグル
ープも出現した。ロータリーは2002年に化粧直しと噴水の改装が行われて、デコレー
ション性が大いに高められた。


ホテルインドネシアが1962年にオープンするまで、ジャカルタのナンバーワンホテル
はガジャマダ通りのハルモニ交差点に近い場所に位置するHotel Des Indesだった。この
ホテルがそれだけの格式を持ったのは、オランダ東インド政庁が賓客の正餐会を行う場所
に使っていたからだと言われている。

レストランの広さは他のホテルをはるかにしのいで収容能力5百人と言われ、料理の美味
しさとメニューの豊富さはバタヴィアで比類がなく、レイスタフェルはオテルデザンドで
の日曜日のランチオンが本命だという定評が語られ、またデザートのひとつであるエクレ
アの前身pain a la Duchesseはフランス宮廷の味だという評判まで流れた。

オテルデザンドが建っていた土地には最初、1824年に東インド政庁が女子学校の寄宿
舎を建てたが、それがあまり使われていないのを見たフランス人のスレオン・アントワヌ
・ショロンが土地を買い取ってホテルを建て、オテル ドゥ プロヴォンスという名前で事
業を始めた。

アントワヌの兄エチエンヌ・ショロンが1839年ごろ周りの土地を買って3.1Haに地
所を広げ、拡張されたホテルをエチエンヌが1845年に新装オープンした。ホテルのマ
ネージメントをコルネリス・デニンホフが担うようになってからホテル名が1851年に
ホテルロッテルダムに変わった。ところがアントワヌの娘と結婚したスイス人フランソワ
・オギュステ・エミル・ウイスが1852年にそれを買い取った。

バンテンのルバッで副レシデンを務めていたエドゥアル・ダウエス・デッカーが家族連れ
で1856年4月にホテルロッテルダムに宿泊している。1856年5月1日、ホテルロ
ッテルダムはオテルデザンドに改名した。あまり印象的でないホテルロッテルダムという
名称をフランス語のオテルデザンドに替えるようムルタトゥリが勧めたという話がそこか
ら世間に流れた。

マレーアーキペラゴの著者アルフレッド・ラッセル・ウオレスは1861年にオテルデザ
ンドに宿泊し、ホテルの秀れたサービスを実地に体験して絶賛している。
「オテルデザンドはとても快適なホテルだ。すべての客室にはベランダに向かって居間と
寝室があり、ベランダには朝と夕方にサービスのコーヒーが置かれる。朝10時にターブ
ルドートの朝食が用意され、晩餐は夕方6時で、価格はたいへんリーズナブルだった。」


1950年代に入ってからインドネシア政府が行ったオランダ資産国有化の波をかぶって
経営者が変わり、1960年にはHotel Duta Indonesiaに改名された。ホテルインドネシ
アが営業を開始してからは廃業を待つだけになっていたようだ。

それでも国有化されるまではヨーロッパ人のマネージメントでホテルが運営されていたよ
うに思われる。というのも、1955年にバンドゥンで開かれたアジアアフリカ会議のお
りに、バンドゥンに宿泊しないでオテルデザンドに泊まった外国首脳があったという情報
が見られるのである。その記事によれば、スカルノがAA会議の開催場所をバンドゥンに
決めた根拠のひとつに、ジャカルタに妥当なホテルがないという一項があったという話が
記されていた。

1971年にオルバ政府はホテルドゥタインドネシアを取り壊し、その地区を商業ビジネ
スセンターに衣替えさせて1976年10月にドゥタメルリン商業センターとしてオープ
ンした。[ 続く ]