「労働蔑視(7)」(2026年03月07日)

日本語「はたらく」の同義語として作られたと思われる「労働」という漢語がある。動詞
としての機能に合わせると「労働する」という言葉になる。この言葉の定義はこうなって
いる。
1 からだを使って働くこと。特に、収入を得る目的で、からだや知能を使って働くこと。
2 経済学で、生産に向けられる人間の努力ないし活動。自然に働きかけてこれを変化さ
せ、生産手段や生活手段をつくりだす人間の活動。

労働という言葉は日本で作られたものであり、中国語にはない。動に「にんべん」を付け
た漢字は中国語の中に存在しないのだ。日本人は労働という概念を示すためにそのような
漢字を使った。そこに「労」という漢字を持って来た日本人作成者の、この概念に対する
語感をわれわれは観取しまた感取することができるだろう。
ろう【労】
1 心やからだを使ってそのことに努めること。また、そのための苦労・努力。ほねおり。
2 和語の「つかれる」「いたわる」「ねぎらう」といった概念との類似性を持つ。
どう【働】
和語の「はたらく」
これは「はたらく」という言葉の持っているネガティブな心理面を「労」という漢字で強
調したものではあるまいか。あなたの心の鏡に労働という概念がネガティブな暗意を満々
と湛えている姿が映っていないだろうか?
 
この労働という言葉は英語laborの日本語として作られたのではないかと思われるのだが、
英語のレーバーとはwork, especially physical workがその語義であり、肉体労働を第一
義的に示していると考えられる。そうなると和語「はたらく」と漢語「労働」の同義性は
かなり狭い部分に絞られて行き、「はたらく」という言葉で表現される概念のごく一部し
か「労働」とは合致しないように解釈できるのである。

但しそれは辞書の定義による考察であって、実用面における現実は「労働する」と「はた
らく」の間の語感がたいへん大きい割合で一致しているように見える。本来的な語義語感
が異なっている複数の単語をこの種の同義語にしてしまう例は日本語の中にたくさんあり、
おまけにそこに暗意の差を盛り込み、また見出すという特殊な作用がそれに伴って発生す
るのが通例であり、このような日本人の言語脳の中にある稀有な機能に直面する外国人日
本語学習者にとっての学習の落とし穴のひとつになっているようだ。それはともかくとし
て;


そう見て来ると、イ_ア人が毛嫌いしているのは「はたらく」でなくて「労働する」なの
ではないかという疑問が生じてくるのではあるまいか。「インドネシア人は労働を毛嫌い
している。」

あれっ?世界の中で労働者を国家英雄に仕立て上げたイデオロギーの国を除けば、世界中
のどこへ行こうが、労働は見下される活動になっているのではなかったか?国民が労働者
になりたがらない国はイ_アに限ったことではないはずだ。イ_ア人の労働観に関して諸
国のひとびとはいったい何を言いたいのだろうか?

いやはやこれでは、外国人がイ_ア人の勤労姿勢に物言いを付けたいというのに、言語に
よる意思疎通が成り立たないではないか。これがバベルの塔に由来する、人間が背負わさ
れた神罰というものかもしれない。[ 続く ]