「ジャワの大砲(10)」(2026年03月20日) ソロ版キヤイ ストモの物語では、1629年に出征した2門の大砲はキヤイ ストモとニ ャイ セトミだったと言うのである。キヤイ ストモは負け戦のためにプレレッに戻ること ができず、ジャカルタに居続けたために今では博物館の表広場に置かれる立場になった。 1980年代にわたしがジャカルタ歴史博物館を訪れたとき、数人の子供や青年がシ ジ ャグルの砲身にまたがって遊んでいた光景を目にしている。キヤイ ストモは子供たちの 遊び相手になっていたのだ。 ジャカルタ歴史博物館表広場に置かれているシ ジャグルの由来についてイ_ア語ウィキ ペディアは次のように解説している。 シ ジャグルはポルトガルの植民地マカオでポルトガル人が製作した、長さ3.85メー トル、重さ3.5トン、口径25センチの大型砲である。この大砲はポルトガルの東南ア ジア本部になったマラカに運ばれてSt. Jago de Barra砲塁に設置された。そのサンジャ グデバーレがジャグルという綽名の由来だ。 1641年にVOCがマラカを陥落させた結果、ジャグルはバタヴィアのカスティルに移 されて港周辺の防衛力を高めた。その後第一線を退いてカスティルヴェフの軍兵器庫に置 かれていたが、1809年にダンデルスがカスティルを廃棄して解体したため、旧バタヴ ィア博物館(今のワヤン博物館)に移された。その後、Studhuisplein(ジャカルタ歴史 博物館表広場)北部の郵便局と現在のカフェバタヴィアの間の地点に砲口をパサルイカン に向けて設置された。 このシ ジャグルには双子の兄弟があって名をKi Amukと言い、バンテンスルタン王家がキ アムッのオーナーである。 別の伝説が物語っているストーリーがこれだ。パジャジャランの王には美しい王女があっ た。ところが王女が奇妙な病気にかかってしまった。女性器が神秘の光を放つのである。 王女を妻にと考えていた高貴な階層の若者たちはみんな、その思いを諦めた。 困った王は国中に御触れを出した。王女の病気を治した者を王女の夫にする。ドゥクンや オランピンタルが競って名乗りを挙げたものの、成功した者はひとりもいなかった。王は がっかりした。ある日VOCの使者がやってきて、王女を当方にいただきたいと申し出た ので、王は喜んだ。西洋型大砲を手に入れるチャンスだ。王は使者にうなずき、そして言 った。「美しくて性能の良い大砲を3門、結納に納めていただきたい。」 届けられた3門の大砲に王はキ アムッ、ニャイ セトミ、シ ジャグルの名前を与えた。 もうひとつパジャジャランの王が登場する別の話がある。ある夜、王は悪夢を見た。何や ら見たこともない兵器の中で爆発が起こり、まるで落雷のような大音響が轟いたのである。 王はその夢に出てきた兵器を家臣たちに説明して尋ねてみたが、知っている者はひとりも いない。 満足できない王は大臣のキヤイ ストモにその夢の兵器を探すよう命じた。「命に代えて も探し出せ!」 キヤイ ストモはその難題に考えあぐみ、帰宅すると妻のニャイ セトミと一緒に瞑想を始 めた。それから何日も経過したというのに大臣は王宮に姿を見せない。もしも自ら探索の 旅に出るのなら、出発の挨拶をしに王宮へ顔を出さねばならないことになっている。他の 家臣たちに尋ねても、もう何日も姿を見かけないと言う。王は王宮警護部隊にキヤイ ス トモの家を捜索せよと命じた。 警護部隊がキヤイ ストモの家を訪れたが大臣夫妻は家にいない。家の中を捜索した兵士 たちが見つけたものは、太い金属製の筒でできた大きな物体がふたつ、床に転がっている 姿だった。それは王の夢の中に出てきた兵器の形をしていた。 マタラム王国のスルタン アグンがその話を聞き、その夫妻を連れてこいと命じた。マタ ラム軍がパジャジャランへ迎えに出向くと、キヤイ ストモは拒否してバタヴィアへ逃げ た。仕方なくニャイ セトミだけがマタラムへ連れて行かれた。 やってきたキヤイ ストモを見てバタヴィアのひとびとは驚いた。見たこともない姿をし ているこの物体は神聖なものに違いない。おかげでキヤイストモ大砲は雨や日射を防ぐ傘 の下に置かれ、たくさんの花が供えられ、食べ物や賽銭をもらえる御身分になった。[ 続く ]