「植民地の見本市(2)」(2026年03月30日) クドゥレシデン統治区で催された見本市は、領地内のプリブミ住民のために設けられたビ ジネスフォーラムだったと見て間違いあるまい。クドゥはたいへん望ましい状況に包まれ ていたために、その催事が大きい成功を収めることになったとランネフツは書いている。 それは何かと言えば、地域内の平和と安寧が高いレベルで確保されていたことだ。 一般庶民の暮らしが安全平穏に営まれることによって、かれらの落ち着いた精神が暮らし の中に種々の生産活動の実践を誘導したのである。それに加えて、たとえ素朴な内容であ ろうとも道路と交通のインフラの良さが生産活動の実践を盛り立てる要因になった。不足 しているものはただ・・・、とランネフツは続ける。 東インドの一般庶民の生産活動に関心を持つ人間がいないことだ、と東インド行政の中で プリブミ産業が等閑視されている点をかれは指摘した。東インド行政高官たちの中に、自 室の業務デスクから離れてプリブミ社会を視察に回る人間がいないという状況を、かれは 皮肉を込めて批判したのである。村々にあるプリブミ社会でひとびとは時間とエネルギー を注ぎ誠心誠意を込めて生産品を作り出しているというのに。 マグランの見本市が大成功を収めた結果、ジャワの他の町々でも類似の催しが開かれるよ うになった。20世紀以降で分かっているのは、年次市がスラバヤ・プカロガン・ヨグヤ カルタ・ソロ・チルボンなどで、年次取引所がバンドゥンで、展覧会や夜市がサラティガ ・マディウン・クディリ・ボジョヌゴロ・トゥルンガグンなどで開催されている。ただし 他の町では行われなかったという解釈は妥当でないだろう。単に報告書がみつからないだ けであって、他の町でも開かれた可能性は強く感じられる。 興味深いのは、大きい町だけでなく小さい町でも開催されていることだ。主催者は民間団 体や半官半民組織であり、Oost en West, Boeatan, Java-Instituutなどの財団法人や政 府行政機関が民間と組んで行ったケースが多々見られる。更に1927年に東インド政庁 農工商業省が民間財団と合同でオランダ東インド年次市推進連合を発足させている。 ランネフツの不満は上のような形で答えられたと見て良いのではないだろうか。ジャワ島 で開催される展示会・年次市・夜市などに現地行政だけでなく中央政府も関わる状況がで きてきたのである。そしてそれらの活動推進の中で中央政府のリーダーシップも強まって いった。開催時期を7〜8月にして女王陛下の誕生日祝祭の色を織り込み、優れていて功 績があったと評価された参加者に褒美を与え、主催者実行委員会の構成を指導し、開会式 閉会式に中央政府代表者が出席した。 その町の見本市開催日が決まると、農工商業省はその開催日に先駆けてその地方で産業コ ンテストを実施した。コンテスト実行委員会は現地行政がヒエラルキーに従って主体者に なり、優勝者に賞金・メダル・賞状が授与された。 世間がそれに気付いたかどうかわからないものの、最初はマグランで開かれたような廉価 な娯楽といささかの商売チャンスを村人たちにもたらす祭り以外の何物でもないと見られ ていたこの催事が、政治的経済的に特定集団を富ませるプログラムへと変身して行ったこ とは間違いあるまい。 その大バザールが開かれるたびに、特定集団の金庫に何万フルデンもの利益の増加が見ら れたことが推測される。1千個を超える金属工芸品・バティッ布・エスニック織物・編み 細工日用品・彫像・陶器・アンティーク家具・骨董的戦具や武器などがジャワ島各地の見 本市で売買されたのだ。 1900年ごろからオランダ本国で、東インドの年次見本市で見られるような品物がコレ クターのエキゾチックアイテムとして商業ベースに乗り始め、デンハーグがそのビジネス のメッカになった。オランダ本国でのその動きが、東インドのカンプン製品が国際市場へ 進出するというモットーの実現形態だったと言えるのかもしれない。[ 続く ]