「カリンガ王国(1)」(2026年04月01日) 唐書巻一九七に[言可]陵という地名が記されている。タイトルは[言可]陵傳だ。[言可]の 文字の中古音はIPA表記で[xa]となっており、現代中国語の[he]や[ho]とは異なっている。 陵の中古音は現代中国語発音と同じだから、[xaling]はカリン(カはカとハの混じった音) と耳に聞こえるのである。本論では、一般に使われているHolingやHelingを使わず、古代 の音を使いたい。 [言可]陵は中国で一時期、ジャワの別名として扱われていたようだ。新唐書巻二二二下 [言可]陵傳には「[言可]陵亦曰社婆曰闍婆」と記されており、社婆や闍婆がジャワの音写 であることから、中国人の眼に[言可]陵はジャワ島を代表する国家として映っていた印象 を感じる。 カリン国は東をバリ、西を墮婆登、北を真臘に接し、南は大海に囲まれた南海の大島の中 にある。都はパームで屋根を葺かれた木造の家屋や大楼で成っている。王は象牙作りの玉 座にすわり、食事は素手で行う。文字を使い、天文学と暦に親しんでいる。ココナツ樹の、 人間くらいの大きさの花から庶民は酒を造る。花を切って汁を採り、それで飲む者を酔わ せる甘い酒を造る。 貞観十四年、大歴三年、四年に朝貢遣使あり、元和十年には5人の僧と5人の童子ならび にオウムやポンガル鳥などの珍物が皇帝に献贈された。・・・・ 真臘はカンボジアを指している。墮婆登は中古音でトゥワバトンという音になるようで、 現代インドネシアのどこを指しているのかはよく分かっていない。 貞観十四年は西暦641年、大暦三年は769年、元和十年は816年だそうだ。 ジャワ島の古代史にKalinggaという王国が登場する。英語ではKalingaと綴られるが音は 同じだ。インドネシア語ではンの音を/ng/と綴るためにka-ling-gaと書かれる一方、英 語ではka-lin-gaと書かれるものの、発音はカリンガなのであり、/ng/のン音がそこに出 現するのである。 つまりカリンガという音の表記の仕方が英語ではkalingaと書かれ、インドネシア語では kalinggaになるということなのだ。綴りの違いに目くじらを立てても、それぞれの言語 における音と綴り方の規則が分かっていなければ無意味な結果になるように思われる。 言語は元々が音だったのだという本質論を忘れた現代人類が落ち込みやすい陥穽だろう。 インドネシア語のKalinggaはイ_ア語でカリンガと発音されるが、ジャワ語発音はカリン ゴと聞こえるため、本論ではジャワ語発音で表記することにする。 カリンゴ王国は発足の起源がよくわかっていない。西暦紀元424年にその名前の王国が 誕生し、716年にスリウィジャヤ王国との闘いに敗れて滅んだという解説があるものの、 もちろん別説もあるのだ。その王統譜は次のようになっている。 427−475年 プラブ ワスムルティ王 475−502年 プラブ ワスゲニ王 502−546年 プラブ ワスデウォ王 546−594年 プラブ ワスカウィ王 594−648年 プラブ キロトシンガ王 648−674年 プラブ カルティケヤシンガ王 674−695年 ラトゥ シマ女王 695−709年 ラトゥ パルワティ女王 709−716年 ラトゥ サナハ女王 [ 続く ]