「カリンガ王国(終)」(2026年04月06日) ともあれ、カリンゴ王国の滅亡は上のような経緯だったように推測されているのだが、7 32年10月6日にリンガが丘の上に建立されたことを物語るチャンガル碑文に書かれて いる内容を見るなら、カリンゴ王国の最期と無関係なサンジャヤ王が見えてくるのである。 チャンガル碑文はマグランのチャンディグヌンウキルで発見されたものだ。リンガが建て られたのはサンジャヤの王国が建国されたことを記念するためであり、サンジャヤの王都 はマグランに作られたと推測されている。 「かつてサンナ王に統治されていたジャワに分裂が起こってサンナ王が没し、王の姉妹で あるサンナハの息子サンジャヤがその後を継いだ。サンジャヤの命によってリンガが建立 された。」という碑文が述べているのは、ガル王国の興亡の物語だ。 16世紀に書かれたチャリタパラヒヤガンに記されたサンジャヤ王の物語によれば、サン ジャヤはガル国王サンナの姉妹であるサナハの息子として生まれた。ラヒヤン プルバソ ラの反乱によってガルの王都は踏みにじられ、サンナは討ち死にし、身ごもっていたサナ ハはムラピ山に流され、そこでサンジャヤを産んだ。 サンジャヤは717年にガルの王都を回復してサンナの王位を継承した。サンナに敵対し た諸王諸領主を倒したサンジャヤは732年、王都をムダンに移して新王国設立を宣言し た。古マタラム王国がそのとき、スタートした。 別の解説には、709年からガル王になったサンナを滅ぼして王位を奪おうと欲した兄弟 のプルバソラが716年に反乱を起こして王都を蹂躙したというストーリーが見られる。 サンナはパクアンのスンダ王国に逃れてタルスバワ王に保護を求めた。スンダ地方にあっ たタルマヌガラ王国が分裂してガル王国とスンダ王国に分かれていたのだ。 スンダ王国の初代国王になったタルスバワ王はサンナを保護し、娘をサンジャヤの妻にし た。サンジャヤの妻がスンダ国王になると、サンジャヤは妻を助けてスンダの統治を行い、 軍勢を率いてプルバソラを倒し、ガルの王位に就いた。そのため、サンジャヤはスンダ・ ガル・カリンゴ三国の王として大王の地位を得たのである。 サンジャヤがマタラムに新王国を築くためにスンダを去るにあたって、息子のタンプラン にスンダとガルの二王国を統治させ、ルシ グル ドゥムナワンにクニガンとガルングンの 二王国を委ねた。 碑文に記されているRakai Mataram Sang Ratu Sanjayaというサンジャヤの名前は「マタ ラムの支配者サンジャヤ大王」という意味に解釈されているとはいえ、その前半部分に書 かれたRakai Mataramは王になる前の役職を示しているという説もある。であるなら、か れの称号は「元マタラム領主のサンジャヤ大王」と翻訳されて、ムダンの地に王都を構え たサンジャヤのマタラム王国というのは北カリンゴ王国がその卵であるということになり、 サンジャヤは北カリンゴ王国の領主になった時期があるという解釈に向かうだろう。 ちなみに現代ジャワ語に「兄、兄弟の年長者」という意味を持つrakaという言葉がある。 そして古代ジャワ語の/i/や/ri/は現代インドネシア語のdi, pada, ke, untuk, menujuな どに相当する前置詞だ。そこから、古代ジャワ王国で王家の一族の称号に使われたRakai という言葉の意味している内容が、たとえばRakai MataramやRakai Watukuraという言葉 の意味がRaka di MataramやRaka untuk Watukuraのように解釈されることになるのだそう だ。[ 完 ]