「独立宣言前夜(29)」(2016年09月26日)

スバルジョはいそいそとPETA中団本部からジョウ・キーシオン宅に回る。そしてスカ
ルノ一行に対面すると語り始めた。
「ジャカルタでは何も起こっていない。普段通りの平穏さです。ジャカルタではなされる
べきことが山積しており、わたしはおふたりをジャカルタへ連れ戻すためにここへ来まし
た。」
「今朝のPPKI会議はどうなったのかね?」
「議長副議長が会議を招集しておきながら、議場に姿を現さない。議員だけで何かができ
るわけじゃありませんよ。」


PETAレンガスデンクロック中団本部の前に3台の自動車が並んだ。ジャカルタへ向か
う一行の中にPETA将兵やスカルニたちに加えてスタルジョ州長官の顔が見えたのにハ
ッタは驚いた。州長官は今朝の出来事をハッタに物語った。


19時に3台の車はレンガスデンクロックを後にした。スバルジョは道中、日本人陸軍兵
に見とがめられないことを祈り続けたと回想している。PETAの護衛で3台の車はジャ
カルタへの道を邁進した。

プガンサアンティムル通りのスカルノ宅に着いたのは20時過ぎ、スカルノ一家が降りる
と、次はミヤコ通り57番地のハッタ宅。

ハッタは車から降りると、スバルジョを誘って邸内に入る。これからPPKI会議を招集
しなければならない。ハッタはスバルジョに、ホテルデスインデスに電話して会議場を用
意させるように言った。ところがホテル側は、22時以降は一切の活動を軍政監部から禁
止されている、と言って応じてくれない。

スバルジョは前田少将に頼るしかないと思った。前田少将邸に電話すると、少将は「喜ん
でこの場所を提供する。」と語った。PPKI会議の招集が諸方面に飛んだ。

と、そのとき、軍政監部三好大佐から電話が入り、軍政監部総務部長がスカルノとハッタ
に話をしたいと望んでおられるので、来ていただけないだろうか、という要請だった。ハ
ッタは必ず行くと約束した。


1945年8月16日23時ごろ、スカルノ、ハッタ、スバルジョたちはミヤコ通りの前
田少将邸に入った。オランダ時代に英国総領事公邸だったところだ。海軍武官府嘱託の西
嶋重忠氏もそこにいた。スカルノたちは2台の車でやってきた。まず民間人の服装をした
青年たち数名が降りる。かれらは右手をポケットの中に入れており、拳銃が握られている
ことを想像させた。スカルニはPETAの制服を着て出て来た。軍刀と拳銃を吊っている。
最後にスカルノ、ハッタ、スバルジョが車から出て来た。

全員は表の広間に入り、スカルノとハッタが着席すると、青年たちはその後ろに立って並
んだ。少し離れたテラスにいた西嶋氏にスバルジョが経緯を報告していると、二階から前
田少将が降りて来た。スカルノとハッタは椅子から立ち上がって少将にお辞儀し、PPK
Iのために場所を提供してくれたことに謝意を表した。[ 続く ]


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