「スラバヤの戦闘(19)」(2016年12月06日)

10月25日、マラビー准将指揮下のイギリスインド軍第23師団所属第49歩兵旅団6
千人が抑留者解放と日本軍武装解除および市内の治安秩序維持を目的に、軽装備でスラバ
ヤに到着した。

10月26日、スルヨ共和国東ジャワ知事と会談したマラビー准将は、共和国人民保安軍
や武装市民の武装解除はしない、と約束した。その約束はマウントバッテン卿のもっとも
初期の構想に則したものであったが、その後の変転で方針を変えたジャカルタのAFNE
I軍司令官クリスティソン中将の意向に沿うものでなかったようだ。


10月27から29日までの三日間、秩序と治安を維持するために軽装備で市内の警備に
あたっていた進駐軍に対してスラバヤの武装市民と共和国人民保安軍が攻撃をしかけ、随
所で市街戦が発生し、進駐軍側に大きな被害が出た。市内は武装インドネシア人が跳梁す
る戦場と化し、進駐軍側は各所で釘付けにされた。

その発端はまず、ジャカルタから飛来したイギリス空軍機がスラバヤ市内にビラをまき散
らしたあとで起こった。「すべてのインドネシア人は武器を48時間以内に進駐軍に提出
せよ。スラバヤの秩序と治安の維持を行うのは進駐軍であり、進駐軍以外の者の武装は容
認されない。進駐軍は武器を持つ者に対して発砲する。」

その内容に、スラバヤの民衆は激怒した。NICAのインドネシア復帰を擁護するイギリ
ス人の謀略と感じたスラバヤ市民は、27日夕刻から進駐軍に対して武力行動を開始する。
進駐軍は鉄道局・電信電話局・病院などを掌握してその警備に就き、また共和国人民保安
軍が捕らえていたNICA諜報員を解放した上、武装しているインドネシア人を軍人市民
の別なく武装解除しはじめたため、武力衝突は避けようもなく起こった。散発的な交戦は
ついに共和国側の進駐軍に対する計画的武力攻撃へと発展した。日本軍から得た戦車12
両や大砲を使用し、また進駐軍側施設への電気と水道の供給を止めたため、共和国側の圧
倒的優位の中で戦闘が継続した。そのため合計で2百人の進駐軍兵士が死亡している。


10月30日、進駐軍と共和国人民保安軍および武装市民間の戦闘が随所で起こっている
市内に、マラビー准将が市内各所に駐屯している部隊指揮官への重要連絡事項伝達に出た。
これは非作戦行動であるため、一行は武装しておらず、手りゅう弾だけを持っていた。

巡回中に、市内ジュンバタンメラ地区のインテルナシオ銀行にインドネシア人武装集団が
向かっているとの情報を得たので、一行もそちらへと向かう。

ところが現場に近づいたとき、銀行の警備に就いていたNICA軍兵と武装集団との銃撃
戦が既に始まっており、乗用車に乗った一行は武装集団に包囲された。

その混乱した事態の中で、准将が包囲者のひとりと短い会話をしたあと、まだ十代と思わ
れるその者がいきなり准将に発砲した、と同乗していたスミス大尉は証言している。大尉
はその銃撃者めがけて手りゅう弾を投げた。そのときに乗用車の後部座席で爆発が起こっ
た。准将はその場で死亡し、数日後に黒焦げの遺体が回収された。准将に随行していた数
人のイギリス人将校はカリマス川に飛び込んで難を逃れた。准将の死因は銃撃でなく爆発
で死亡したという説もあり、最終的に死因が確定されないまま、今日に至っている。
[ 続く ]

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