「愚かな白人がいっぱい・・・(前)」(2018年09月17日)

ライター: フランス人芸術研究家、文化人、ジャン・クトー
ソース: 2018年8月5日付けコンパス紙 "Ocehan Bule Pandir"

わたしは白人に対してレーシストの傾向を持っているのだろうか?わたしの尖った鼻の形
を見てあなたはきっと「考えにくい」と言うだろう。しかし好むと好まざるとにかかわら
ず、バリのチャングーやジャカルタのクマンで出会うインドネシア在留白人の9割が示す
振舞いを目にしたとき、しばしばわたしは自分を制御できなくなる。かれらはたいていわ
たしをうんざりさせてくれる。

一番腹立たしいのは、かれらのインドネシア語に対する態度だ。かれらが言うには、イン
ドネシア語は易しいから学ぶ必要などないのだ、と。その結果かれらが使うインドネシア
語は概して、インドネシアにおける言語上の礼儀作法の面から社会的にたいへん粗野な感
触で受け取られている。

それがゆえに、わたしの知り合いが体験したような、ある結果がもたらされることになる
のである。その人物は長期のインドネシア在住者で、自分がマネージする諸プロジェクト
でインドネシア語が堪能であることを自慢にしていた。しかし政府の役人との関係におい
てかれは何らかの困難に直面するのが常だった。それもそのはず、かれは県令や郡長に対
していつも飾りっけも何もなしに「kamu」という語で呼びかけていたのだ。アドゥー、
なんと愚かな。かれはオランダ人が下男に使っていた言語スタイルを振り回していたので
ある。その通り!かれらの通用言語は、白人たちがトアンと呼ばれて社会的優越性を誇示
していたあの不愉快な時代の遺風を感じさせるものだったのだ。何ということだ!

本当は、もし白人たちが善く正しいインドネシア語を学びさえすれば、植民地時代の遺産
である社会的優越性など即座に消滅してしまうというのに。そうすれば白人たちはインド
ネシア社会に溶け込むことができる。それを実践しているひとだっている。しかしながら
溶け込むのであれば、運転免許証SIM AやSIM Cを交通警察で取得するとき、パッ・クス
ノやンバ・ワティら一般庶民がそうしているように、かれらも順番待ちの列に並ばなけれ
ばならなくなる。

白人長期在住者でそれを拒む者は数多い。使用人や浮気相手とあまりにも長く「kamu」
用法を楽しんできたのだから、インドネシア語の接辞法の鍵を勉強する代わりに英語を使
うほうを好むのである。結果は保証付き。ボス様々だ。[ 続く ]