「宗教教育のパースペクティブを切り替える」(2018年09月19日)

世にある宗教はたいていがその信徒に対して相互の敬愛や同胞意識、共同生活における秩
序や規範などを教えていて、ひとびともその枠組みの中では文明人としての姿で己を律し
ようとしているが、宗教の枠を超えたとたんに異教徒を敵視するありさまは現代世界にお
ける原理にそぐわない姿であり、ビンネカトゥンガルイカを標榜するインドネシア共和国
にとっても好ましくないものになっている。

その状況を改善するためには、国民義務教育における宗教課程の内容にもっと高度なパー
スペクティブを持ち込む必要がある。現在行われている宗教課程ではその宗教に関するこ
とがらだけを教えており、異宗教についての展望が何も与えられていないからだ。18年
9月13日にジャカルタで開かれた宗教関係の大会で宗教大臣は開会スピーチの中でこの
ように発言した。

「建国の父たちが宗教を特別の位置に置いたことをわれわれは奇貨としなければならない。
人種・種族・文化・言語といった多様性の中で、われわれをひとつに結び付けるものは民
族観念だけでなく、宗教の諸価値もその要素となるのだ。宗教が教える諸価値は社会生活
のあらゆるアスペクトと切り離すことができない。すべての宗教は社会における善行や公
正さを教えている。
問題は、自分の宗教の外の世界に直面したとき、往々にしてファナティックな姿勢が過剰
に生じることだ。それが、自分が一番正しくておまえたちは間違っているという感情を湧
き立たせ、世の中にある多様性に対する不寛容さを育むことになる。」

一方、9月11日に行われた義務教育での宗教課程に関する討論会では、現在のカリキュ
ラムは各宗教が完全にその宗教についてのみ教える形になっていて、ヒューマニズムを基
盤に据えた宗教教育になっていないとの批判が投げかけられている。ムスリム知識人のひ
とりは、教育が通過しなければならない五つの項目があり、宗教教育もその例外ではない
ことを強調した。

「1.知識の授受、2.いかに実践するか、3.いかに自己を作り上げるか、4.いかに
他者と共存するか、5.いかに社会を変革していくかの五項目がそれである。インドネシ
アの宗教課程はほとんどの国立私立学校で第1項目だけで終わっており、ほんのわずかの
学校とプサントレンおよび寄宿制の学校で第2第3項目が行われているにすぎない。第4
第5項目まで宗教教育を展開している所など聞いたこともない。」
かれはそう語って、宗教教育カリキュラムの改善を強く訴えた。

現在政府が直面している、一部国民の宗教過激思想宣伝が国家原理と社会秩序の存続維持
に悪影響を及ぼしている状況に対して政府は諸政策で対応しているものの、もっと根本的
で本質的な対策がおざなりにされていることが、いま浮き彫りにされはじめている。