「Q(後)」(2018年10月04日) 別の例はkritiqとkritikだ。kritiq? ちょっと待て。kritiqと比べる前にkritikだけをまず説明しておこう。インドネシア語のkri- tikは英語のcriticismであるからだ。一方英語のcriticはインドネシア語のkritikusとなってい る。英語のto criticise (mengkritikisasi)を意味するmengkritikのイヤラシ語形mengkritisiと いうものもある。一方kritisは、危うい状態(sakit kritis)や習慣的に疑問を持つこと(berpikir kritis)を意味するcriticalの訳語だ。分かったかな?もしまだはっきりしないなら、読み続け る前に落ち着いてよくかみしめていただきたい。慌てて先へ進めば、kritisなkrisisに陥るか もしれない。 さて、kritiqと比較対象しようとしているkritikはcriticismの意味だ。語義はいくつかあり、 その内のふたつは、普通は悪い意味で使われる「何かを評価し、裁断する行為」(たとえ ばkerjaan tukang kritik)と、そのクオリティがいかに優れているか劣っているかを詳細且 つ論理的に説明するような「芸術作品を評価する技術」(kerjaan kritikus)である。 kritiq(critique)とは文芸作品の評価を書いた論説だ。あるいは、あらゆるものを疑い、不審 を抱く、非教条的哲学的な研究メソッドをも意味している。頭の痛いことに、kritiqは上述 のkritikのふたつの語義と同じものを含んでいるのである。ならばそれらを区別する必要が あるのか?区別するのが必要なひとには必要なのだ。そうでないひとには不必要なのであ る。区別がもたらす潜在的利益のひとつは、kritiqには人間を指す用法(ad hominem)がな く、常に作品・思考・行為を示している。一方kritikは「要するにおまえが悪いのだ」とい うネガティブなバイアスを示す傾向を持っている。それを踏まえた上で何かをするか、そ れともやめるか?それはどうぞご自由に。この小論はkritik-mengkritiqに関するものでな く、qに関するものなのだから。 スタートレックのQは驚くべき超能力の敵役で、現実の時空を指先一つで変化させること ができ、同時に他人を好きなようにもてあそぶ子供っぽいふるまいでみんなをうんざりさ せる。それと同じように、言語審判者や行司をうんざりさせつつインドネシア語発展の土 俵の上でqは力を持つようになってほしい。だれもが幸福になることだろう。 ブワハハハ[ 完 ]