「工業用機材はブルストゥル市場(前)」(2018年10月24日)

西ジャカルタ市グロドッ(Glodok)は昔からコタ地区の商業センターとして繁栄を謳歌して
きた。昔はモーレンフリートと呼ばれていたグロドッ地区を貫通する運河の東側がハヤム
ルッ(Hayam Wuruk)通りで、ピナンシア(Pinangsia)に近いあたりにリンデティヴェス
(Lindeteves)トレードセンターがある。

リンデティヴェスは元々スマランに本拠を置くオランダ植民地政府系の鉄工建材会社で、
正式名称はNV Lindeteves Stokvis & Fa. と称し、NV Rotterdam Internatio, NV Borsumij 
Maatschappij, NV Geo Wehry, NV Jacobson Van den Bergなど多数の子会社を持って植
民地時代末期までインドネシアの各地に支店を置き、手広く事業を行っていたが日本軍の
インドネシア占領に際して接収された。

1910年ごろに建設が開始されたスラバヤ支店は日本軍に接収されたあと、そのワーク
ショップで軍用兵器機材の修理が行われていたようだ。インドネシア共和国完全独立後も
スラバヤのリンデティヴェス建物は元のまま維持され、現在はマンディリ銀行が使用して
いる。


しかしバタヴィアのリンデティヴェス社屋は名が残るのみとなってしまった。共和国時代
が始まると、その一帯は工業用機材や技術関係の機器が集散するパサルと化した。ジャカ
ルタ周辺は元より、インドネシア全国に興った需要を満たすためにひとびとが最終的にや
ってくる場所がそこだった。

リンデティヴェス北側に1970年代に建てられたハルコ(Harco)ビルは電気製品のメッ
カとなり、この一帯で電気製品や関連部品あるいは専門機材を探して見つからなければシ
ンガポールに出るしかないというほどの地位を与えられていたものだ。そんな国内最高峰
という栄名はほんの数十年前まで続いていた。

ハルコは一般消費者に直接結びつく商品が廉価で豊富な品揃えの中から選べるとあってそ
の名は広く人口に膾炙したものの、リンデティヴェスは扱われている商品の性質上一般消
費者にはあまりなじみのない場所としての地位に甘んじてきた。ましてや外国人駐在員が
買物に集まってくる場所でもなく、おまけにインドネシア人の中にその名をリンドティプ
スと発音するひともいるので、外国人にとってますます訳がわからなくなる場所であろう
ことは想像にかたくない。

このリンデティヴェスの北側にあって、もっと北にあるハヤムルッインダ(Hayam Wuruk 
Indah)ショッピングコンプレックスや更に北のハルコビルのエリアを隔てているのがブル
ストゥル(Blustru)通りであり、ハヤムルッ通りからこの道に入って行くと、ハヤムルッ通
りの東側を並行して走っているマンガブサールI通りに突き当たる。

そのブルストゥル通りの中ほど北側にグロドッブルストゥルショッピングセンター(Per-
tokoan Glodok Blustru)がある。リンデティヴェスの名前につられてブルストゥルもオラ
ンダ語のように聞こえるのだが、ブルストゥルはれっきとしたムラユ語で、ヒョウタンを
意味しているそうだ。[ 続く ]