「遊びの性、聖なる性(1)」(2018年11月21日)

ライター: コンパス紙レポーター、M サイッ・ワッユディ
ソース: 2018年6月12日付けコンパス紙 "Birahi Manusia, antara Permainan 
dan Kesucian"

ソーシャルメディアで自らが体験したセクハラを公開した歌手フィア・ファ−レンの勇気
は称賛に価すると同時に、われわれが支援すべきものでもある。フィアがそれを警察に届
け出ることに乗り気でないにしても、かの女を貶める文章の書かれたスクリーンショット
をアップロードしたことは、これまで声のセクハラの被害者になっていたアーチストたち
に行動の指針を与えることだろう。

大人にしろ子供にしろ、セクハラの被害者にとって自分の体験を物語るのは容易なことで
はない。かの女たちは、恥ずかしさ、困惑、怖れ、そして心を打ちのめした蔑みをも克服
しなければならないのだ。おまけに、それに続いて起こるであろう、被害者を悪者にしよ
うとする世間の観念が生み出す二重の蔑みにも備えなければならない。

とはいえ、フィアのセクハラ公開は少なくとも、加害者に懲罰効果をもたらしたようだ。
加害者は社会制裁を蒙り、女性の尊厳を汚す行為がどんな結末を招くかという警告を他の
者たちに与えることになった。

< 男の思考 >
セクハラの境界線は個人個人で大いに異なっており、文化的価値観と本人のセックス観が
それを決める。セクハラというのは身体接触や性的な言葉だけに関わっているのでなく、
口笛からウインクまでセクハラのカテゴリーに含まれている。

性的ことがらに関して、男性と女性の視点は異なっている。男性は性欲に関することがら
をより自由且つ積極的に表明する。特定個人に向けられたり、あるいは本人の目の前でと
いうことでなく、一般的な状況の中でだったとしても、女性に誘い掛ける言葉から、時に
は卑猥な調子を帯びたり、女性の肉体の良し悪しに至るような言葉を多くの男性が吐く。

さまざまな伝統型の、あるいはモダンな娯楽ショーの中でのお笑い、あるいは高官スピー
チや宗教説法に至るまで、男性話者は性的臭いのする表現を頻繁に挿入して笑いを誘い、
聴衆に飽きさせないようにする。

ソーシャルメディアの時代に性的ジョークは新たな器を手に入れた。おじさま方がメイン
を占めているワッツアップグループには性的ジョークが大量に詰め込まれている。ご婦人
メンバーたちはただ沈黙し、そんなジョークがポルノグラフィ傾向を深めるとグループか
ら抜けて行く。

男性は女性よりもたくさんセックスのことを考える。男は7秒に一回セックスのことを考
えるという話がある。それだと、睡眠時間を除いて一日に8千2百回セックスを夢想して
いるということになる。[ 続く ]