「ロンタルは生命の木(3)」(2018年12月19日) 注文はティイランガが一番多い。ひとつ作るのに二日かかり、10〜15万ルピアの収入 になる。注文をさばくために、徹夜することも珍しくない。それでもすぐ現金になるのは、 かれらにとってうれしいことだ。水田耕作ではそんなわけにいかないのだから。 バエ港からほど近い場所に住むアンデリアス・トナッさん52歳も、ロンタルの恵みを享 受するひとりだ。かれの父親はササンド演奏者だった。かれは20歳のときに父親に弟子 入りし、同時にササンド制作も始めた。 かれはササンドゴンの制作に没頭した。ササンドゴンは銅鑼と一緒に演奏するためのササ ンドで、弦は7本だけ。その制作には丈50センチを超えるロンタルの葉を必要とする。 ロンタルは共鳴装置の役割を果たす。 かれはすべてを手作りでやりおおし、二日かけてササンドを一台完成させる。買い手はス ラバヤ・バリ・ジャカルタからやってくる。価格は一台20万ルピア。 ササンドの演奏はアダッの集まり、賓客の歓迎会、婚約や結婚パーティ、葬式などに呼ば れて行う。ジャカルタやバリ、サラティガなどで演奏したこともある。 ロテの地元の言葉でロンタルはサイボア(saiboa)と呼ばれる。サイは海、ボアはインドネ シア語のbuah(実)だ。日常会話ではサボアッ(saboak)と発音されている。地元説話に よれば、サイボアは最初、海に浮かんでいる実が見つかった。名前を知っている者はだれ もいない。ロンタルの原産地はインドなのだから。 実は浜に打ち上げられ、腐り、割れて芽が三つ出た。木は大きく成長し、pohon tuakと 呼ばれるようになり、もっとあとになってpohon lontarという名前が一般化した。ロンタ ルの木が生えたのは、北西ロテにあったリンガウ王国(Nusak Ringgau)だったと信じられ ている。時代は1千4百年代で、そこからロンタルはロテ島全域に広がって行った。 ロンタルの木の実用性は最初、花房の茎を切って出てくる液体を飲むことから始まったら しい。それがひとびとの有用な食料になった。特に赤児を産んだ母親にとっての。おまけ に母親が赤児に乳房を含ませる前に、赤児の唇と舌をニラで湿らせる。赤児が母乳を飲む のはその後だ。赤児は母乳より先にロンタルに接し、ロンタルを生涯の友とし、一生を終 えたあとはロンタルの棺桶に入って埋葬される。[ 続く ]