「ジャワ島を揺さぶる活断層(1)」(2019年01月16日) ジャカルタをかつて襲った地震の中で、歴史に記された強力な地震は1669年1月5日 のものだった。その日バタヴィアの街では、これまで一度もなかったような激しい揺れが 45分から一時間に渡って続いた。石造りの建物が21、倉庫が29破壊され、28人が 生命を落とした。 そのとき、ボゴール南方のサラッ(Salak)山も噴火した。海抜2千メートルの山頂から火 山は灰や石をまき散らし、およそ数千立米のラハールが流れ落ちて原生林をなぎ倒し、チ リウン川の流れをせき止め、バタヴィアを水不足に陥れた。ボゴールの惨状は目を覆うば かりだったろうが、オランダ人によるバイテンゾルフ開発の80年くらい前のことだから、 オランダ人にとっては無縁の話だ。 地震はその後も数日間続き、バタヴィア城壁内にある建物の中で被害のない家はなかった らしい。1918年にアルトゥル・ヴィヒマン(Arthur Wichman)が書き残した論文によ れば、1699年1月5日0時半に強力な地震がバタヴィアを襲って多くの建物を破壊し たほか、グデ・パンラゴ山とサラッ山にも山体の一部崩壊を発生させたそうだ。 地震の原因をサラッ火山の噴火によるものとする説が昔から主流になっていたが、バタヴ ィア南方の地質要因による可能性も唱えられていて、原因は特定されないままになってい る。 次いで1780年1月22日にバタヴィアを揺さぶったM8.5前後と推定される地震。 更に1834年10月10日にはバタヴィア・バンテン・カラワン・バイテンゾルフ・プ リアガンという広大な領域で、大地が何回も大きく揺れた。最大の揺れは午前中に起こっ たもので、それは中部ジャワのトゥガルやスマトラ島のランプンでも体感された。 バタヴィアでは石造りの建物に被害が出た。ほぼ全壊して跡形もなくなった建物もある。 ウエルテフレーデン中央に鎮座するダンデルスの宮殿(現在の大蔵省建物)も無事では済 まなかったようだ。このときの被害状況は総合データとして残されたものが見当たらない。 バイテンゾルフでも大きい被害が出た。バイテンゾルフ宮殿も一部が崩壊して使えなくな り、長い歳月をかけて修理が行われている。[ 続く ]