「キリストの名はキリストにあらず(後)」(2019年01月29日)

Kristusはギリシャ語Khristosであり、Mesiasはヘブライ語Mashiahに由来している。そ
れらの基本語義は同一の「香りのある濡れた粉末」だ。ただこのケースにおいては、イス
ラエル人は香粉でなく香油を用いた。KristusやMesiasは(神の名において)香油を塗ら
れし者を意味しているということだ。奇妙なのは三番目のkudusの語で、これはキリスト
教における特殊な用法になっているが、この用法は正しくない。もちろん比喩的・象徴的
な意味でそう解釈することが可能だとしても、キリスト教徒は香油を塗る行為を神聖化と
いう意味に理解してはいないのだから。

頭に香油を塗る行為にはどのような意味合いが込められているのだろうか?香油を塗る宗
教儀式は宗教指導者・預言者・王など要人や指導者に対して行うものとユダヤ人の聖書に
記されている。キリスト教信仰において香油を塗られし者と認められているYesusは、宗
教指導者・預言者・王の三つを兼ね備えた存在として受け取られているのだ。それを認め
て受け入れているひとびとがKristenと呼ばれるのである。ギリシャ語のKhristianos、つ
まりKristusに従う者たちだ。

ムスリムはかれをIsa Almasihと呼ぶ。アラブ語Masihはヘブライ語のMashiahであり、つ
まりはSang MesiasつまりKristusの語義そのものを表している。しかしキリスト教徒は
'Isaの名に戸惑う。アラム語やヘブライ語でIsho'やYeshua'の語尾に書かれる文字はアイ
ン('ayin)であり、それはアラブ語アイン('ain)と同等のものである。[この小論では、通
常行われているように記号/’/をアインのシンボルとして使っている。]ところが、'Isa
の名称ではアインは語頭に置かれているのである。文字構成に理由のはっきりしない逆
転が行われているということだ。それがためにアラブのキリスト教徒は'Isaの名称を用い
ず、Yasu'あるいはYasua'をYesusの語に当てている。

Yesusの名はこのように、かれが担うセキュリティの役割に深く関わっている。Yesusが
この世にやってきて死ぬまで務めを果たし、そして人類にとっての救済者という、生まれ
た時に付けられた名前の語義そのままに、自己の務めをはたすべくよみがえったことをキ
リスト教徒は信じている。かれの誕生月日はまったく不明であるものの、キリスト教徒は
Hari Natal(クリスマス)をその言葉の語義通りにかれの誕生日として祝うのである。
[ 完 ]