「歴史に埋没した古代ローカルウイズダム(後)」(2019年02月01日)

津波という単一要因でその現象が起こったという気は毛頭ないのだが、情報伝達の希薄な
古代にも関わらず、広範な地域に住むひとびとが似たような傾向の行動を示したというこ
とについては、そこに大自然の猛威がひとつの方向性を与えていたためではないかという
推測が、われわれを大いにうなずかせるものとなるにちがいない。

17世紀にオランダVOCがやってきてマルク地方を征服した。オランダ人自身は通商と
航海の便宜を優先して海岸部に本拠を置き、更に地元民支配の便から原住民を海岸部に居
住させた。特にマルク地方はヨーロッパ人が血眼になって奪い合ったスパイス生産と流通
の根拠地であり、この地方では特に富の確保が最優先された。

1674年2月17日、猛烈な地震と津波がアンボン島とセラム島を襲い、多くのオラン
ダ人が住んでいたヒトゥ海岸は高さ3メートルの津波に洗われて、オランダ人は32人が
死亡した。アンボンとセラムで失われた人命は2,322人にのぼった。だがそんなこと
でくじけるオランダVOCではなかったのである。

ヌサンタラの原住民が大自然の猛威に対応して作り上げたローカルウイズダムは征服者に
よって打ち砕かれ、それに慣らされてしまったインドネシア人はオランダ植民地支配者が
築き上げた生き方に従って国民活動をいまだに継続しているありさまだ。

海岸部には、いつやってくるか分からない大災厄が潜んでいる。海岸部に人間が集まって
諸活動を営めば、大災厄は膨大な損害をもたらすだろう。それ以上に稼げばいいのだとい
うVOC型発想がインドネシアの住民に本当に適したものなのかどうか?

特に自然災害に関してローカルウイズダム再発見を旗印に掲げたインドネシアにとって、
津波対策問題は国民が社会としての生き方を問い直すべき大きな分かれ道を示しているよ
うに見える。[ 完 ]