「宗教の進むべき道(1)」(2019年02月11日)

ライター: ジャカルタイスラム国立大学心理学部教官、コマルディン・ヒダヤッ
ソース: 2017年6月3日付けコンパス紙 "Multiperan Agama"

専門学者層の間で誰もが同意し受け入れることのできる宗教の定義付けは、実に困難をき
わめている。つまり定義付けすら専門学者の間で異論に満ちているのだから、民族や宗教
が異なっていても容易に受け入れることのできる科学公式に対する姿勢よりも宗教の定理
に対するそれが異なっていて当然かもしれない。

定義問題とは別に、いくつかの宗教カテゴリーがある。たとえば神が作った啓示に基づく
宗教と自然に内在する合理性を基盤に置く自然宗教、天上の宗教と地上の宗教、ユダヤ・
キリスト・イスラムのアブラハム系宗教と非アブラハム系宗教。哲学書の中には、マルキ
シズム思想すら宗教のカテゴリーに含めているものもある。

世俗主義と科学イデオロギーに対してアブラハム系宗教は特有の違いを持っている。つま
り世の終末後の永遠の安寧ドクトリン、神が約束した天国の生だ。信仰者にとっては、現
世にどれほどの美と快楽があろうとも、神が約束した天国のそれに匹敵するものはない。
それがために、信仰者の中には来世の生に憧れて現世の生をないがしろにする者も現れる。

< 宗教言語 >
その内面にクレド・聖書・儀式規準・聖地観念・社会生活倫理などを包含している宗教を
信仰者は、自己と神をつなぐ安寧の道だと確信している。終末の日、神の審判、天国と地
獄の報いはアブラハム系宗教のもっとも基本的なクレドだ。だからこそ信仰者にとって、
安寧への道(救済)の観念と確信は信仰の核になっている。安寧への道が何で、どのよう
にそれを得るのかについてはそれぞれの宗教が、個々に異なる、ドクトリン型でプライベ
ートで、強制不可能なためにひとつにまとめようのない教義と解釈を持っている。

あらゆる宗教の発端は、きわめてプライベートな霊的できごとと体験であり、後になって
それが社会環境の中へと展開されて行った。たとえばイスラム教のコンテキストにおいて
は最初、6世紀にメッカの町はずれにあるヒラの洞窟でただひとり瞑想にふけっていて超
自然の存在と邂逅したムハンマッ青年のストーリーとかれの証言に端を発する。そのヒラ
の洞窟でムハンマッは、神が天使ジブリルを通して与えたと信じられている啓示を受け取
った。啓示の内容は神が人間に対して、正しくて尊敬に値する生き方を実践するよう諭し、
同時に自分に対してだけ礼拝せよと命ずるものだった。初めはムハンマッ自身もその超自
然の存在が何者か分からなかった。ムハンマッが頻繁にヒラの洞窟を訪れた事実は、科学
的史観に基づいて歴史家たちが認めているところだ。それは史的事実なのである。しかし
天使ジブリルに遭ってアルクルアンの啓示を得たというムハンマッの証言は、科学がその
内容に対して妥当性の確認や検証を行える限界を超えている。ムハンマッに語りかけたジ
ブリルの姿を示す証拠を、歴史家は見出していない。[ 続く ]