「一国家、一民族、二言語(5)」(2019年02月20日)

[ V ]
長期間にわたるオランダ植民地支配によってインドネシアが錆びついたために、われらの
整然としないインドネシア語にオランダ語やこの地を通過した諸民族の言葉が大量に入り
込み、その多くが間違った意味で受け入れられたのは、きわめて当たり前のことだった。

その証拠が、英単語を自文化特有の発音で自国語化するのを愉しんでいるマレーシアとは
対照的に、インドネシア語が持つガドガド言語・チャプチャイ言語・ティヌトゥアン言語
の容貌なのである。


同一のムラユ語を源とするインドネシア語とマレーシア語の比較対照をしてみよう。下に
掲げたいくつかの単語はほんの一例に過ぎず、言うまでもなくこのリストはもっとずっと
長くなる。

beg: マレーシア語のバッグを意味するこの単語は英語のbagに由来している。インドネシ
アではオランダ語のtasが取り込まれた。
kes: 法廷用語としてのこれは英語のcaseから獲られたものだ。インドネシアではオラン
ダ人が法廷で使ったラテン語のcasusからkasusが作られた。
tayar: マレーシアは英語のtyreから。インドネシア人はオランダ語のbandをbanにした。
besen: 英語のbasinからマレーシア人はこのようにした。インドネシア人はオランダ語
waskomをbaskomとした。
basikal: 英語のbicycleだ。インドネシアはフランス語のvelocipedeの一部を取ってse-
pedaにした。

それらの例からだけでも、ましてやインドネシアという名称でさえ、それを最初に言い出
したのはイギリス人JRローガン(Logan)であり ― かれは1848年にCustoms common 
to the hill tribes bordering on Assam and those of the Indian Archipelagoと題す
る論文にその語をはじめて使い、1884年にドイツ人アドルフ・バスティアン(Adolf 
Bastian)がIndonesia oder die insel des Malayschen Archipelsと題した論説でその名
称を普及させた ― 、インドネシア語がこの地域にかかわりを持ったさまざまな民族の言
語をいかにオープンに受け入れてきたかということを結論として導き出すことができよう。

オルデバル期や、もっとひどいオルデラマ期のように、その政治利益のために民衆にフラ
ストレーションを注ぎ込むことに努め、あたかもインドネシア語が独自の土着言語である
かのように言い立てて、「外国文化の悪影響からわが身を守ろう」というようなネガティ
ブきわまりない迷信もどきのスローガンで国民を煽り立てた行為は異常な歪曲なのである。
[ 続く ]