「胡椒、枯れるバンテンの栄光(終)」(2019年02月21日)

バンテンスルタン国は胡椒供給の源泉を、ジャワ島西端地方からスンダ海峡を越えてスマ
トラ島ランプン州にまで拡大して行った。ランプン地方には強力な王権がなく、各小王が
割拠してせめぎ合っていたため、小王たちは強大なバンテンスルタン国を宗主にして所領
安堵をはかった。小王はバンテンのスルタンにセバの儀式を行い、スルタンはラワンクリ
を小王に与えてそれに応じたとのことだ。

こうしてランプンは胡椒の産地となり、ランプン黒胡椒はバンカ島のムントッ白胡椒と並
び称されるインドネシア産国際市場アイテムとして、その名はいまだに轟いている。しか
しそれはいまだに名実共に備わったものとして受け継がれているのだろうか?行政も業界
関係者も、その問いに首をかしげる者は多い。

なにしろ、1980年代にベトナムが国家プロジェクトとしてインドネシアに胡椒の栽培
技術を学びに来て以来、かれらの切磋琢磨は既に旧師だったインドネシアをしのぐものに
なってしまっているのだ。

そうかと言って、インドネシア人にとって胡椒は過去の遺物になり果ててしまったわけで
もない。ランプンでもバンカでも、依然として高品質の胡椒が市場に送り出されてきてい
る。「作れば必ず売れる」というたぐいに属す商品が胡椒であるらしい。

パンデグランのプロサリ山の山稜に胡椒畑を開いた者がいる。かれが地所を探しに分け入
ったところ、胡椒の老木が並ぶ古い昔の畑を何カ所か見出した。バンテンギラン時代以来、
スルタン国そして植民地時代を通して、その畑で胡椒の収穫が行われていたのは明らかだ。

この山麓の村を故郷にするかれは、大人になってからセランに出てバンテン〜ランプン間
を往復する運転手になった。勤労期を終えて故郷に戻ったとき、老後の生活設計はもうで
きていた。運転手時代に目に触れ、肌で感じた胡椒という商品の確実性にかれは惹かれた
のだ。
「これまでプロサリ山に入ったことはなかったが、歴史に書かれている通り、この地方は
胡椒の本場だったんだ。胡椒は必ずできるし、作れば必ず売れる。やればきっとできる。」
確信を持って語るかれの目は、希望と意欲に燃える青年のものだった。