「クミングリス(1)」(2019年03月04日) 自分の国語をしゃべるときに、母国語の中にその時期その土地で有力な外国語を織り交ぜ て悦に入ってる人間は昔から世界中にいたようだ。今や世界中で有力な外国語が英語(米 語?)になってしまったから、非英語国ではその侵食に登場するのが英語と相場が決まっ ている。日本でも、明治時代の早い時期に今後の世界言語は英語だという先見の明を持っ たようで、だから英語耽溺症人間は戦前から出現していたらしい。 インドネシアでは、20世紀初めごろから植民地政庁が原住民エリート育成を開始し、上 流知識層の間にオランダ語が広まって行ったことから、自分の母語とオランダ語をごちゃ 混ぜにしてしゃべる人間が出現した。かれらはオランダ人の行為振舞いをまね、あたかも オランダ人になったかのような姿を示すことに努めたので、当時はクムロンド(kemlondo) という語がかれらへの通称になった。 ロンド(londo)というのはBelandaの語をジャワ人がそのように発音したことで定着したら しい。植民地時代の東インドにいたヨーロッパ人がすべてオランダ人だったわけではなく、 フランス・ベルギー・ドイツ・イギリスなどの諸国人が混じっていたのは疑いもないこと だったというのに、原住民に対する支配階級に属す白人はひとくくりにしてロンドと呼ば れた。挙句の果てにアフリカ人傭兵が植民地軍に導入されると、アフリカ人は黒ロンド (londo ireng, インドネシア語でBelanda hitam)と呼ばれる始末だった。ロンドという語 が何を指しているかは明らかだろう。 この語法は共和国独立後も継続し、ジャワ島内では白人の一般名称としてロンドが使われ ていたが、米人インドネシア学者ベネディクト・アンダーソン氏が植民地臭の強すぎるそ の語を嫌い、ブレ(bule)という語に代えることを推奨したそうだ。しかしやはりジャワ語 のブレは白子・アルビノを意味しており、一般社会の風習としてかたわ者の位置付けにお かれ勝ちなありさまだったから、首をかしげたひとも多かったにちがいない。 今では白人を意味するインドネシア語として確立されているものの、蔑みの感情を込めや すい言葉であるのは間違いあるまい。 さて、昔のクムロンドは今やオランダからイングリス(Inggris)に代わったのだからクミン グリス(keminggris)と呼ぶべきだとコンパス紙は考えたにちがいない。クミングリスとい う記事タイトルが紙面上で踊った。[続く」