「文化宗主国症候群(後)」(2019年03月13日)

IGN グラ・ウディアンタラのFrom contemplation to comedy (ジャカルタ2002年)、
合同展示会After the affair - Art Project(マラン2004年)、合同展示会Watching 
information through pressure & Pleasure(ジャカルタ2005年)、ジャカルタビエ
ンナーレBeyond the limits and its challenges(ジャカルタ2006年)、合同展示会
The Extreme Little(パスルアン2007年)、ヴェ・ダニト写真展示会Return to in-
nocence, Return to youself(ジャカルタ2011年)、アルベール・ヨナタンGrammar 
of meditation(ジャカルタ2012年)などがその例であり、また映画界でもGet Mar-
ried; Eiffel, I'm in Love; 18++ Forever Loveなどの例がある。

それらのタイトルはインドネシア語の翻訳ではないのである。そうではなく、自民族の言
語からさよならしようという意欲を持って作られたものなのだ。インドネシアの芸術文化
を語るインドネシア人編纂のインドネシア語書籍の多くにも英語耽溺症はしっかりと根を
下ろしている。それらの書籍はインドネシア人がインドネシア語書物として書き、インド
ネシアで印刷出版され、インドネシア人のために国内の書籍流通ネットワークに乗せられ
たものなのである。


インドネシア語の主権を減滅させようとしているその意欲はさまざまに解釈できる。国際
交流という時の流れから見るなら当然であり避けられないことだと言うひともある。エリ
ートステータスを身にまといたいがために、学があるように見せかけてカッコつけようと
するトレンドだと思っているひともいる。外国人に目を向けさせるための国際化マーケテ
ィング戦略の一環だという意見もある。

しかしインドネシア国内でのフォーラムには芸術家みずからがインドネシア語のタイトル
をつけ、国際的な舞台に乗せるときだけ英語でサブタイトルを添えるようにするなら、ど
れほどビューティフルなことだろうか。

インドネシア人が誇りを持って外国語や国際語を使うことは何も悪くない。しかしその行
為が、子供たちがマリン・クンダンのようになって自分の母親を忘れ去ってしまう事態を
インドネシア語に引き起こすようなことになるのであれば、まったくビューティフルでな
いことになる。艱難辛苦を乗り越えて到達した民族独立が自らの民族言語の主権を侵略す
るという歪んだ結末へと進んで行くようなことになるなら、なんと哀しいことだろうか。
[ 完 ]