「嗚呼、インドネシア語(1)」(2019年03月26日) 元々、統一体としての地名を持たなかった東インド島嶼部に西洋人が与えた学術名称とし てのインドネシアが、その後オランダ国内で起こった人道主義的植民地行政を目指す改革 運動の中で蘭領東インドという従来からの呼称へのアンチテーゼとしての機能を持たされ、 その洗礼をその時期に受けた蘭領東インド現地人留学生たちが同一国家同一民族という共 同体意識など持ったこともなかった故郷を一体化させて反植民地=独立を目指す闘争に邁 進させるための旗印に使うようになったことで、その名称は政治色ひとつに塗りつぶされ てしまった。 インドネシアという言葉がギリシャ語源だったのはヨーロッパ人が作った言葉だからだし、 ヨーロッパ語が国名にされたのは現地人の間に妥当な固有名称が存在しなかったことと、 反オランダ闘争という歴史の流れが生み出した成り行きがその理由になっている。 インドネシアという語が著しい政治色で塗りつぶされ、文化の香りがほとんどしないのは、 その発端からして縦割り構造を包む外郭という位置付けにされてしまったからだ。文化は 外郭で包まれた各セルの中にあり、セルの表皮がインドネシアという概念との密着を緩い ものにしている。 1928年の青年の誓いは、その構造を確定して政治闘争に邁進することを宣言したプロ パガンダであり、そのときはじめて確定したインドネシア語という言語は、百年近い期間 を連綿と今日に至るまで練り上げられてきたものである。なにしろ、それ以前にインドネ シア語はこの世に存在しなかったのだから。 インドネシア語は各セルを包む外郭を縛るひもである。その名の通り(国家)統一言語な のであり、外郭がこのひもで支えられているのは間違いあるまい。だがしかし、言語は文 化の一部であり、文化なくして言語は存在しえない。政治権力は総力をあげてインドネシ ア語の政治機能をサポートしているものの、文化が密着してそのあり方を支えている諸国 の言語とはそこに違いが出て来る。 異文化が言語面で攻勢をかけてくれば、その耐性にあまり楽観的になれないことは言うま でもないだろう。昨今出現しているクミングリス現象にせよ、イングロネシア語にせよ、 その弱点があからさまに露呈されているようにわたしの目には見える。そしてそれが政治 面における国家統一のためのひもとしての機能を弱めているようにこの国の政治家たちの 目に映っているのも、自然の成り行きであるにちがいない。 上で概説したインドネシアの国家構造を見ればわかるように、インドネシア人というのは 自分の母語と母文化を核にし、その上にインドネシアという外郭をまとって立っている二 重構造をしている。必然的に母語とインドネシア語というバイリンガルと、母文化の価値 観をふるいにかけてインドネシア文化として外に表出できるものを取捨選択するというプ ロセスがかれのインドネシア人としての存在の中に付随するのである。[ 続く ]