「嗚呼、インドネシア語(3)」(2019年03月28日)

ジャワの王国が版図を広げて現在のインドネシア共和国領土とほぼ似通った領域の支配者
・宗主国となったのはマジャパヒッ王国の宰相ガジャ・マダの時代だ。ジャワから軍隊が、
支配権が、文化が、ジャワ人が、その領域のあちこちに天下って来た。その威勢は長続き
しなかったとはいえ、その領域の中でジャワが持っている圧力の高さは、今日に至るも他
に比肩できるものがない。

大勢のジャワ人がインドネシア語の基盤をジャワ語が担うはずと考えたのも無理はあるま
い。だが最大多数による支配というデモクラシー原理は、建国の父たちによって排除され
た。かれらは数の暴力を回避したのである。


マジャパヒッ王国が前代未聞の広域覇権を南洋島嶼部に展開する数百年前に、スマトラ島
パレンバンを本拠にするスリウィジャヤ王国が覇権を拡大した。版図はマレー半島付け根
部分からジャワ島東部にまで及んだ。

スリウィジャヤは海洋王国であり、領土的野心は内陸国家であるマジャパヒッほど強くな
かったようだ。他の王国の支配者・宗主国となって貢納させることよりも、他の王国との
通商交易を他国支配の基本方針にしていたように思われる。もちろん、通商交易を自分に
有利に行うための威嚇や軍事力使用がなかったはずもあるまいが。

スリウィジャヤ王国が公用語に使っていた言葉は文化的価値の高いインド由来のものの他
に、ローカル言語として古ムラユ語があった。こうしてスリウィジャヤの影響力の及ぶと
ころ、そしてスリウィジャヤの交易船が訪れるところでは、ムラユ語が通商言語のひとつ
になった。

一旦各地に交易言語として定着したムラユ語は、スリウィジャヤ王国が滅亡しても、その
実用性のゆえに生き残った。スリウィジャヤ王国が存在しなくなった以上、ムラユ語は覇
権の匂いのかけらもない実用言語に変身したのである。

インドネシア語というものの中身を埋めるために建国の父たちが行った斟酌の中身も想像
に余りあるだろう。ムラユ語のシンプルな使いやすさは域内各地でムラユ語が通じる状況
を支えており、学習は容易で、しかもジャワ語の特徴であるウンガウングと呼ばれる敬卑
表現語法にまで思いを致すなら、学習技術的な面からだけでも軍配の指すところは推測さ
れる。

そこに覇権の匂いと数の暴力という感情的なものが加わるなら、非ジャワ文化地方が持つ
であろうインドネシア国語に対する指向性がどうなっていくことか?


インドネシア語の基盤とその方向性が定まると、それを現代言語として完成させていくか
たわら、各地方文化の持っているユニバーサルなものを吸い上げてインドネシア文化とい
う共通文化に結実させる動きが進められた。政治がそれを行ったのである。インドネシア
語という産物における政治と文化の関係はそういうものだったのだ。

必然的に、インドネシア語の完成度を高めるプロセスにおいては、各種族語・地方語が持
っているものを第一候補とすることになる。語彙や語法はまず地方語から取り込むことに
なるのだ。外国語の中に必要語彙を求めるのは最終手段となる。[ 続く ]