「後退する西洋優位に怯える者(後)」(2019年03月28日)

西洋諸国はチャレンジに直面している。中東・アフリカ・アメリカからの移民の流れは社
会の人種的一体性を変化させた。西欧・米国・オーストラリアは人種的混合の激しい複合
文化社会になっていく。

ところがそれはその社会が常に調和的であることを意味しない。グローバル競争の結果起
こる経済成長の鈍化は移民が社会に溶け込む機会を狭いものにしている。

地元社会先住者の低階層はマグリビ、インドパキスタン、アフリカ、メキシコなどからの
移民と限られた求人をめぐって競争することになり、それは激しいコンフリクトと対立的
先入観を生む。だからグローバルキャピタリズムはユニバーサリズムを作り出すはずであ
るとはいえ、それと正反対のものをも生み出すことになる。

ただ民族種族的コンフリクトは、ソスメドが先鋭化させないかぎり、強固なものにならな
い。ソスメドの背景をなしているアルゴリズム装置は感情的反応を生み出す傾向を持ち、
伝統的な印刷メディアが従来持っていた理性バランサーの役割をそのまま低下させている。

たとえば現在、ラディカリズムとテロリズムは辺縁層の社会病理現象という見方から、ま
すます文明戦争のシンボルと見なされるようになってきた。ヘイトスピーチはインターネ
ットの蜘蛛の巣の中に何の障害もなく膨張を続けている。

その結果、ゲルマンナチズムの敗北で永遠の淵に沈められたと何十年間も思われていた構
造的広がりを持つレーシズムが、あたかもフランケンシュタインのように、現在の西洋世
界に雨後のたけのこのごとく復活しつつあるのだ。


そんな状況下において、種々の西洋デモクラシー機関はファシズムの危険を食い止めるだ
けの力を本当に持っているのだろうか?安心はできないのである。もし米国でドナルド・
トランプが再選されたら、どんなことになるだろう?誰にもそれはわからないのだ。

同時に、諸ヒューマニズム民間団体は西洋極右層の人種ファナティズムに対抗し、それを
くじく強さを持っているのだろうか?それについて確言できる者はだれもいない。

三日前にあった国際人種差別撤廃デーを祝うのはよいが、しかしながらインターネット業
界のジャイアントが、米国憲法で保障されている言論の自由の名において人種(あるいは
宗教)ヘイトスピーチの高らかな呼び声を放置するかぎり、和合とデモクラシーが保障さ
れることは永遠にない。

だからわれわれにとっての政治とインテリジェンスの責務のひとつは、インターネットと
ソーシャルメディアのコントロールシステムを追求して、民主的でヘイトスピーチのない
ものにする闘いなのである。

ヒトラーは90年前にラジオにおける烈火のような演説を通して生まれた。われわれはモ
ンスターたちがインターネットやソスメドの中から出現してくるのを放置してはならない
のである。[ 完 ]