「インドネシア語を世界語に(1)」(2019年04月02日)

ムラユ語を土台に据えたインドネシア語はマレーシア・ブルネイダルッサラム・シンガポ
ール・タイの一部で日常生活言語として使われているムラユ語由来の言語ときわめて近い
関係にあり、2億6千万を超えるひとびとの間でそれら一群の言語が用いられている。

ところがインドネシア語というのは政治が生み出した言語なのであり、マレーシア等々の
諸国で使われている自然発生的な言語とは性格が異なっている。それらすべての言語の源
流になっているムラユ語というのは元来スマトラ島リアウ州で自然発生的に起こった言葉
であり、マレーシアやブルネイ等の日常生活言語はその延長線上にあるもので、もちろん
インドネシア語もその延長線上にあると言うことができるわけだが、インドネシア語だけ
は他の諸国に比べて文化の根がその話者の中に培われていないことが大きな特色になって
いる。

インドネシア語を母語とする者がインドネシア国内にほんの一握りしかいないことは、「
嗚呼、インドネシア語」の記事の中で触れた。インドネシア人の基本形態は、さまざまな
地方語と呼ばれる母語とその文化を基盤に持ち、インドネシア語を教育・行政・広域情報
および異種族とのコミュニケーションなどに使うだけというのがほとんどになっている。

インドネシア語を母語とする国民は理論的に首都圏(あるいは地方の大都市での特殊な環
境下)で生まれ育った者のみが該当するばかりであり、ムラユ語がネイティブ言語である
リアウ州ですら、インドネシア語がリアウ人の母語であるとは言い難い状況になっている。

インドネシア語が基礎構築の時期を通り過ぎて6百を超える多種多彩な地方語をつなぎあ
わせるひもの機能に邁進し始めてからというもの、その発展プロセスはムラユ語との乖離
すら避けて通れないものにしているのだから。


別の例として、地方語を持つ種族が実用主義に走り、伝統として伝えてきた母語を顧みな
くなったというものがある。そのひとびとは自分たちの母語を捨ててインドネシア語に走
った。スンダをはじめ、いくつかの地方でその種のことが顕著になって来たとき、中央政
府はその傾向に冷水を浴びせかけた。

一見して国語振興と矛盾するような中央政府の姿勢は、インドネシア語がいまだに文化言
語としての地方語に支えられるべき政治言語でしかないのだという基本構造を理解できな
い者にはわからないことがらだろう。

一部社会で母親が子供に母語を捨ててインドネシア語で接するようになったとき、そこの
伝統社会に培われてきた種々の価値観が子供に伝達されなくなってきたのである。それで
は秩序立てられるべき社会生活に混乱が起こる。どちらが重要なのかを天秤にかければ、
行政官でなくとも結論は明白であるに違いない。[ 続く ]