「インドネシア語を世界語に(終)」(2019年04月08日)

大作戦を成功させようと意気盛んな一群のひとびとがどこまで国をその方向に向かわせる
ことができるか、という問題がそこに横たわっている。オーストラリア国立大学教官はそ
の障害の強固さに懸念を表明する。かれは語る。

今や英語が世界言語になって、インドネシアを含む世界中のほとんどの国で英語をかじら
ない人間は肩身の狭い思いをするようになっている。そんな状況の中をくぐってインドネ
シア語を世界語にするためには、適確この上もない戦略が必要とされるにちがいない。

そもそも自国民の間でインドネシア語よりも英単語を使いたがる風潮が顕著になってきて
いる状況への対応がまず必要であり、それなくしてインドネシア語を世界言語にと唱えて
みても実効は期待できるまい。

その延長線上に外国人へのインドネシア語普及がある。オーストラリアでは60年前にイ
ンドネシア語学習熱が盛り上がり、ビクトリア州だけで6万人の生徒がインドネシア語を
学んでいた。ところが20年ほど前からオーストラリアのBIPAは停滞に落ち込んでし
まった。今やインドネシア人との交流が英語でなんとかできる時代になっている以上、昔
あったインドネシア語学習の理由の一部が消え失せているのも確かなことだ。


在英国インドネシア大使館駐在教育文化アタシェはBIPAの歴史を振り返る。鳴り物入
りで始まった英国一般市民に対するインドネシア語学習講座が一時期閉鎖された。しばら
くして再開されたとき、英国人の反応は厳しいものだった。かれらの質問は一点に集中し
た。「今回開かれる講座に関して、インドネシア側に継続性に関する真剣なコミットメン
トが本当にあるのかどうか、それを伺いたい。」
ヨーロッパでインドネシアはまだまだあまり知られていない国だから、BIPAの生徒募
集は容易なものではない。そこに加えて汚点が残されていれば、困難さは一層募るばかり
になる。

在オランダインドネシア大使館駐在アタシェも、オランダ人のインドネシアに対する興味
は低下するばかりだ、と語っている。インドネシアの文化研究はインドネシア語が分かる
ことで効果が飛躍的に高まる。もちろんインドネシア語を学ぶ理由はそれだけではない。
種々の動機に押されてインドネシア語を学びたいひとが増加するのは、広範な面における
国家間の交流が活発化している証拠だ。

1990年代がオランダにおけるインドネシア語学習の黄金時代だった。政府が十分な予
算を海外のBIPA振興に振り向けたことで、それが起こった。そしてその流れが反転し
た。

そのような過去の汚点を教訓にして、逆風の強い国際環境下にこの一大作戦を仕上げて行
くことができるのか。国際環境の先行きを占うことは別にしても、インドネシアの政権は
この先、少なくともまだ5回の交代期を迎えなければならない。国政方針をがらりと変え
る大統領が出現するとき、BIPAの命運は再び変転の道をたどることになるかもしれな
い。イギリス人にBIPAの継続性をコミットできる者など、誰もいないのである。
[ 完 ]