「BABS(2)」(2019年04月10日)

人類が数千年をかけてたどってきた文明化の道程とは、人類がケダモノとは異なるレベル
にステップアップするプロセスだった。それは排便という生理現象にも適用された。たと
え知性面や社会生活面での文明化が先行し、生理現象あるいは保健衛生に関連するものは
医学面での文明化が大幅に出遅れたためにやっと数百年前から始まったことだとはいえ、
そこにも文明化がやっと及んできたのだと言えるにちがいない。

人間の排泄物は土や開放された水流に投げ捨てれば、土や水に浄化作用があってそれらの
汚物は無害なものになると信じられており、病気については病根に触れた空気が人間を罹
患させるのだという思想があって、その両者の関連付けが世の中の常識になっていなかっ
た時代がなんと、19世紀ごろまで続いた。

当時の文明の最先端を歩むヨーロッパ人さえ人間の排泄行為に関する蒙昧、つまり衛生観
念の遅れははなはだしいものがあった。たとえばバタヴィアを建設したオランダ人は浴室
のない、つまりはトイレのない住居を作って住んだ。その種の住居の例をわれわれはファ
タヒラ公園のジャカルタ歴史博物館や、モーレンフリート西岸に建てられた国立公文書館
(Gedung Arsip Nasional)に見ることができる。ニャイ・ダシマの事件でも、エドワード
の家の前の川にその一家のための水浴場が設けられていたという記述は、浴室トイレが屋
内になかったことを証明しているかのようだ。

オランダ人は総督ヤン・ピーテルスゾーン・クーンの指揮下に、バタヴィアの街をアムス
テルダムに似せて作った。当然、アムステルダムで行われているライフスタイルが熱帯の
バタヴィアでも同じように営まれたにちがいない。

運河を縦横に巡らせたのは、交通の便と同時に上水下水機能を持たせるためだったようだ。
トイレのない建物の中で、オランダ人は肥壺を自分の生活領域の中に置いて用を足した。

肥壺は毎日中身を回転させなければ、たまってしまう。それではたまったものでない。バ
タヴィア政庁は住民に対し、カリブサールに排泄物を流すのは22時から午前4時までと
し、人間の水浴・洗濯・上水採取等の活動時間帯とバッティングしないようにさせた。


そういうスタイルに変化が起こり始めたのは19世紀に入ってからで、たとえばメンテン
地区に建てられたオランダ人の住居にはトイレが一般的に設けられるようになったものの、
人間が居住する母屋の中でなく、庭の一角に離れて建てられる様式が多かったようだ。

インドネシア人歴史家によれば、それはジャワの家屋構造に影響されたものであったらし
い。排泄場所を人間の生活領域の中に持つに際して、それは主生活域から離して置くこと
が妥当であるというコンセプトがその基盤に置かれていたとのことだ。[ 続く ]