「BABS(3)」(2019年04月11日)

というのは、ジャワ人の生活様式においては、一カ所あるいは一軒の家で居住するメンバ
ー構成は大家族制が基盤をなしており、自分の血族だけでなく息子や娘の嫁や夫と、それ
を媒介にして集う嫁や夫の一族という広範なひとびとが定常的非定常的にそこに起居する
のである。日本的コンセプトの嫁は自分の血族から離されて夫の一族の中に入って行くと
いう思想とは異なるものだ。そういう流動的な居住メンバーが暮らす一軒の家は、トイレ
を離しておくことの妥当性が高かったにちがいない。

もうひとつは、やはり人間の排泄物は不浄不潔なものという感覚がもたらすものだろう。
水洗というものが川や運河や池へ行く以外に存在しえなかった時代、不浄不潔感覚ははる
かに強く感じられたにちがいない。この種の感覚は世界中に共通だったように思われる。
20世紀になってやっと、トイレを建物内に備えた建築様式が一般化してきた。

インドネシア語でトイレをkamar kecilと呼ぶのは、母屋から離して庭の片隅に設けた小
さい建物を指す名称に端を発したものなのだろうか?kamarはオランダ語のkamer(英語
のchamber)を語源にする言葉だから、プリブミの間で自然発生した言葉ではない。


トイレを意味するインドネシア語の中にkakusという言葉も存在している。排便の様子を
人目にさらすべきでないことから「カクス」と言われたという説はさておき、これもオラ
ンダ語に由来する言葉であって、そのものずばりの別小屋を述べているように思われる。

kakusというのはオランダ語のkakhuisつまりkakken(排便する)を行うための建物に由
来しているそうだ。裏庭に小さな小屋を設けてそこで排便する習慣が作られたとき、それ
らの言葉が生まれたと推測するのは自然だろう。そのころでもプリブミは家の周囲の畑や
川でkakkenしていたから、トイレットブースというのはオランダ文化の産物としてイン
ドネシア文化に入った雰囲気が濃厚である。

インドネシア語には、元々ジャワ語だったと思われるjambanという言葉もあり、これは
画像検索すると川や池の上に張り出して作られた、日本で言う「かわや」もかくありなん
という画像が飛び出してくる。

ジャンバンへ行かない場合は畑の植物の陰が利用されて、人工的な囲いを設ける習慣は生
まれなかった。つまり人工的な建造物の中で排泄行為を行うライフスタイルはやはりオラ
ンダ文化から学んだものということになりそうだ。[ 続く ]