「首都圏の保健インジケータ(3)」(2019年05月08日)

そのような医療体制もただ単に数字を比較するだけでは見えて来ない部分がある。たとえ
ば、病院の先払いシステムだ。どんな重態の患者が運び込まれて来ようが、まず先払いを
行わなければ病院側は本気で相手にしない。

患者側の人相風体をじっくり観察して、金の取りっぱぐれがないことが確信できれば「治
療を始めるから、その間に先払いを行ってくれ」と言われるが、確信できなければ先払い
の領収書を提示しなければ執りかかってはくれない。外国人はその点、金銭の支払いに信
頼感があるようで、外人はたいてい前者の扱いになっているようだ。

この問題は単に病院側のヒューマニズム姿勢を問題にするのでなく、インドネシア文化の
中に「金を握る前に何かしてやると、取りっぱぐれになる」実態が山のように充満してい
ることに思いを馳せるべきだろう。インドネシアの日常生活にはこの種の事象が充満して
いることを、インドネシアで生活する外国人は知らなければならない。


はっきり言って、インドネシアで人間同士の信頼感が効果を持つのは、相互に他人でない
と見なしている人間同士の間に限られる。長い人類の歴史の中で、世界中がそういう時代
を通り過ぎてきたのだ。現代社会がそこから脱却して、赤の他人との共同生活に信用経済
をはじめとする基本的信頼感を満たすようになったのは、人類が努めてきた文明化のたま
ものである。

文明化の先端を歩んでいる諸国から見れば、インドネシアは文明的に遅れている。インド
ネシアが後進国だと呼ばれるのは、その点においてなのだ。経済的な発展が先進や後進を
決めているのでなく、文明の進度がそれを決めているということを忘れてはなるまい。文
明の進度がその帰結として経済の進度を決めているのであって、経済の進度をもって先進
・後進を測定するのは大筋として間違いはないにしても、測定基準をダブルスタンダード
にすると論理的な破綻が起こるケースが出現するのは避け得ないだろう。

ただ、人類文明を担いできた西欧文明が停滞期に入り、新たな文明が待ち望まれているフ
ェーズに人類が差し掛かっているいま、文明というものの中身が混沌さを増してきている
のも事実なのである。人類がこれまで研ぎ澄ましてきた価値観やロジックが混乱の時代に
向かいつつあることも否定できない状況になっている。[ 続く ]