「チナ蔑視の元凶は満州人?(1)」(2019年05月08日)

異能の多才クリエーターであるレミ・シラド氏は言語ディレッタントでもある。かれは本
名がヤピ・パンダ・アブディル・タンバヨンで、ミナハサ文化を背負った両親からマカッ
サルで生まれた。父親ヨハネス・ヘンドリック・タンバヨンは植民地軍オランダ人軍人の
子供としてマグランに生まれた福音伝道者であり、日本軍政期に灯火管制下のマリノで灯
りを敵機に示したとして捕らえられ、不帰の人となった。

わずか3年の学校教育しか受けなかった農夫の娘、母親のユリアナ・カテリナ・パンダは
子供たちを連れてマリノからスマランに移り、セミナリーで働くようになる。言語・音楽
・神学がレミ・シラド氏の人格の一部を形成するようになったのは、そんな要因のゆえだ
ろう。


幼いころからスラウェシ・マルク・ジャワの諸文化の中で育ち、長じてスンダ・スマトラ
などの諸文化にも親しく交わり、おまけにアラブ・ラテン・ギリシャ・英蘭仏独・さらに
は中国や日本などの諸外国語を吸収するといった異才をもって、かれの文化知識は膨れ上
がった。

テンポ誌記者、アクトゥイル誌編集者、バンドン映画アカデミー教官、バンドン文化セン
ター演劇部長などを職歴に持ち、文化作品批評・短編や長編小説・詩人・演劇脚本・随筆
などの文筆活動、作詞作曲、映画演劇ドラマの制作と演出活動、音楽学・言語学・演劇学
・神学などに関する著作を世に送るといった華々しい経歴がかれの人生を彩っている。か
れは歌手になり、画家でもあり、またドラマアクターにもなっている。

かれは種々の活動分野で異なる名前を使っているため、知る人ぞ知るインドネシアの文化
人のひとりになっている。次のような名前で世に出ているものがすべて同一人物の創造性
のなせる業だとは、教えてもらわなければだれにも分るまい。Remy Sylado, Dova Zila, 
Alif Danya Munsyi, Juliana C. Panda, Jubal Anak Perang Imanuel. かれは女性雑誌向
けの執筆者として母親の名前を使っている。

世間がもっとも頻繁に目にするのは、やはり文芸作品著者としての名前だろう。それがレ
ミ・シラドであり、ドレミファの音符名称で作られたものだ。若かりし頃、かれは自分の
バンドを組んでプレスリーに傾倒し、そしてリバプールから現れたビートルズにのめり込
んだ。

ヒット曲のひとつAnd I Love Herの出だしをドレミファで書けば、レミファシラドになる。
そこからファを除去したものがレミ・シラドなのだ。数字符で書けば23761となる。
かれは時と場合によって、サインを23761と書くこともあるそうだ。


チナの語が蔑称であるため中国Tiongkok/中華Tionghoaという言葉に替えることを中華
人民共和国政府がインドネシア共和国政府に申し入れたとき、レミ・シラド氏はその論旨
が当を得ていないことを主張して「チナ廃語」に反対した。

蔑称として作られた単語でない以上、もともとは尊蔑のニュアンスを持たないニュートラ
ルな言葉だったはずであり、侮蔑のニュアンスが塗りたくられるようになる以前には民族
の祖先たちがニュートラルなニュアンスで民族文化の一部を形成する言葉として使ってい
たものなのである。

よしんば現代人の一部が侮蔑のニュアンスを込めて使っていることを事実として認めたと
しても、民族構成員のすべてがそうしているわけではなく、古来からのニュートラルなニ
ュアンスでその言葉を使っている者が少なからずいる。現に、わたし自身がそうだ。
[ 続く ]