「チナ蔑視の元凶は満州人?(終)」(2019年05月13日)

中国で起こった異民族間支配被支配の関係というのは、オランダとインドネシアがそうで
あったように、世界中で起こった関係の一バリエーションでしかあるまい。被支配民族の
支配者に対する叛乱は思い出したように湧き起こった。清王朝下初期の中国では鎮圧され
た叛徒が南洋に向けて逃亡した。その時代、インドネシアにやってきた華僑は故国を追わ
れた逃亡者(叛徒や犯罪者)、そして食い詰めた貧困者たちがメインを占めていたのだ。

1740年にバタヴィアで起こった華人街騒乱Geger Pecinan、通称華人大虐殺事件で万
の数に上る華人がバタヴィアVOCに殺されたとき、中国側の反発や抗議を懸念したVO
C上層部の心配をよそに、清王朝がそのできごとを完璧に無視したのは、故国を逃げ出し
たチナ人などどうなろうが知ったことではないという支配民族の被支配者に対する蔑視を
明白に示したものと見られている。


清王朝は征服民族の習慣である辮髪を被支配者に倣うよう命じ、それがチナ人のヘアスタ
イルとなったことから、インドネシアに渡航してくるチナ人一般はその姿をしており、福
建語でそれを意味する頭?の発音taucangがインドネシア語彙のひとつになった。中国本
土で行われたこの異文化強制は強者民族主義のなせるわざであり、被支配者を蔑んで行わ
れたことは言わずもがなだろう。

19世紀には支配民族の腐敗した国家行政が西欧列強の国土侵食を募らせ、被支配民族の
危機感を高めた。被支配民族の中に民族主義が渦巻き始めるのも当然の帰結ではあるまい
か。ところが時勢を説くためにインドネシアに密入国した華人青年が中華会館を訪れて反
体制を説き、満州人への隷属の象徴である辮髪は廃止しなければならないという話をして
自分は実行済みだとカツラを外したとき、現場で乱闘が巻き起こった。

スピーチを聞きに来た聴衆と、講演者を含む主催者側とが争ったのだ。聴衆の中に満州人
がいたわけではなく、かれらは被支配民族である漢人・唐人の子孫たちだった。ところが
先祖代々伝わっているとかれらが信じている華人精神の心髄、伝家の美風、中華民族のシ
ンボルとしての辮髪に対する侮辱行為をかれらはそこに見出して、被支配民族であるはず
のかれらが怒りを猛々しくしたのである。この話はプラムディア・アナンタ・トゥル氏の
小説の中に登場する。

三百年近い歳月はチナ人の精神を奴隷化し、集団としての民族の弱さ脆さを列強の前に見
せつけた。その結果が西欧列強、そして日本による侵食であり、広大な国土を持つ軟弱民
族というイメージがその固有名詞に蔑みの色を塗りたくられてオランダ領東インドの原住
民を含む世界の人口に膾炙したことは疑いあるまい。

言葉とそれが指している実体の関係とはそういうものだ。実体が卑しいもの、穢れたもの
であれば、その言葉はそういう響きを帯びるのが人間世界の宿命なのだろう。同じ実体を
指す言葉が時代によってあれこれと変化する事実がそれを実証しているようにわたしには
見える。

チナという言葉を蔑称にしたのは満州人だというレミ・シラド氏の言葉をわたしは自分な
りにそう解釈している。[ 完 ]