「プルンプアン(2)」(2019年05月21日)

異国のことを知るのは書物を通してであり、つまり学問は書の中に求めるものであって対
話・会話の中に求められざるものにされてきたわけだ。その体質はいまだに連綿と続いて
いるとわたしは感じている。もちろん例外は掃いて捨てるほどあるが、今その斟酌はしな
い。ただ言えることは、その仕組みが社会構造の形成において文盲の民に知識教養(と定
義付けられているもの)を持たせない方向性を生み出し、階層の格付けに大いに貢献した
のは疑いあるまい。

それらの諸要素は混じり合い、相互に作用しあって、現代日本語の骨組みの一部をなして
いるわけだが、このような方向性を日本文化の中に据えさせたものがいったい何だったの
か、それらの諸現象のどれがニワトリでどれが卵なのか、今のわたしにはまだ判別が不可
能だ。


さて、ムラユ語が語源であるプルンプアンという語は元々良い意味を表す言葉だったとい
う説がしばらく前からジェンダー問題にからめて叫ばれている。その問題については後で
考察するとして、少なくともニュートラルに位置付けられる語感はあったにちがいない。
つまり良い女と悪い女という二種類の価値が女性一般に与えられていたのだから、「女」
そのものの語感はニュートラルという結論になる。

女は男に求められるのをひたすら待つ貞淑な存在でなければならず、淫らな姿を示して男
を性的に誘惑する者には「悪い女」というレッテルが貼られた。淫婦は悪い女の一典型で
あり、娼婦もそのカテゴリーに含められた。

日本軍がインドネシアを支配した時期、日本軍政は慰安所を街中の中心地区に設けて将兵
が女と性的な接触を行うことを公然と奨励したとインドネシアのひとびとは語っている。

将兵が行きやすい街中の中心部には通常、市場や映画館あるいはモスクさえ集まっている
のであり、民衆の日常生活の中にその姿がこれ見よがしに押し込まれていったということ
だ。性行為はカーペットの下に隠すべきものという価値観が優勢だったインドネシアのひ
とびとにとって、それはあからさまな文化摩擦だったにちがいない。

そして女を精液排泄のための道具とする女性観が、ニュートラルな価値観を持つプルンプ
アンという言葉を汚らわしいものにしてしまった。女性をそのようにしか見ない大勢の人
間が「プルンプアン」「プルンプアン」と言いながら女性をそのように扱っているのだか
ら、プルンプアンという言葉がそういうニュアンスを帯びて来るのも当然だろう。プルン
プアンという言葉の語感が日本軍政時代に破壊されてしまったのだ、とインドネシア人文
筆家のひとりは書いている。

その結果、インドネシア共和国独立後にプルンプアンという不潔感を帯びた言葉は敬遠さ
れ、それに代わる単語としてワニタ(wanita)という言葉が意欲的に使われるという現象が
起こった。女性組織や女性が開催するコングレスやシンポジウムにはたいていワニタの語
が使われた。ただしその後の展開は世代交代とともにプルンプアンの語感も回復されて、
プルンプアンとワニタの二本立てで今日に至っている。とはいえ文筆家の中には、「ワニ
タはそういう歴史の流れの中で生まれて来た代用品であり、プルンプアンという語の持っ
ている語感には太刀打ちできないものだ」と語るひともある。[ 続く ]