「プルンプアン(4)」(2019年05月23日)

インドネシア大学文学部語彙論・辞書編纂法センター長を務めるハリムルティ・クリダラ
クサナ教授がプルンプアンについての言語学的考察を述べた小論がある。これは1995
年4月21日のコンパス紙コラムに掲載されたものだ。まずこれを読んでみることにしよ
う。


20年前にリアウの田舎で言語用法の実態調査を行ったとき、ある村の長老が述べた言葉
に筆者は驚いた。Anak saya jantan dua orang, betina satu orang. 筆者のインドネシア
語(ムラユ語)の知識では、jantan(雄)betina(雌)は動物の性別に使われる言葉だっ
たからだ。

語源学的に見れば、jantanというのはjalu(夫)の美称であり、betinaは古代マレーポリ
ネシア語派に由来するina(母)から転じたもので、母性を意味している。inaはトババ
タッ語、タガログ語、東部インドネシア地方の諸語にいまだに残されている。上の例は、
リアウのムラユ族がjantan, betinaを語源に則して使っているにすぎないことを示してい
る。

4月になるとわれわれはカルティニの生誕を祝う。中でもかの女の闘争の後継者たちに
とってそれは重要なことだ。その中で性別を示す単語が話題になる。lakiとペアになる
perempuanがいいのか、それともpriaと対をなすwanitaがいいのか、という話題だ。

借用語であるワニタよりも民族的にオリジナルであるプルンプアンの方がウエイト感覚
も大きくて、事実上の本質をより深く描き出している、と説くひとがいる。1928年
にはKongres Perempuan Indonesiaがヨグヤカルタで開かれたではないか、ということ
を引き合いに出すのだが、残念ながらそのころ、ワニタという語はまだインドネシア語
として認知されていなかった。反対に語源の問題はさておいて、女性を卑しめるニュア
ンスで使われているプルンプアンよりもワニタのほうが上品ではないかと述べるひとも
ある。

ワニタの語がプリアとペアでわれわれの言葉の中に採り入れられたのを否定することは
できない。それはサンスクリット語からジャワ語を経由して取り込まれたものなのであ
る。ワニタの語は1950年代に詩人たちがそれを使ってインドネシア国民の間に広め
た。イスマイル・マルズキ作のDiciptakan alam pria dan wanita....なる歌詞が一世を
風靡したのは、誰もが知っている。

サンスクリット語のvanitaの語義は「望まれる者、愛される者、女性、雌(人間・動物
の両方)」であり、語頭のvaの音は英語のwinと同根の「望む、勝ち取る」という意味
を持っていた。[ 続く ]