「プルンプアン(7)」(2019年05月28日)

プルンプアンの語根であるンプ(empu)の語義がibu(母)、tuan(ご主人様)、ahli(専
門家)、pemilik(所有者)であるのはハリムルティ教授の小論にある通りだ。あるいはそ
の語義をkepala(かしら)、hulu(長=おさ)、yang paling besar(最も偉大なる者)と
説明するひともいる。たとえばempu jariはibu jariと同義語であり、empu gendingは歌を
作ることに長じた者という意味を持つ。

一方、別説のアンプ(ampu)はKBBIによれば動詞で「下から支える」「下支えする」
という現代語義になっている。動詞mengampuの行為者を意味する名詞がpengampuで、
この言葉は英語のguardianの訳語としても使われているし、ブラジャーはオランダ語源
のBH(ベーハー)が一般的だが、pengampu susuというインドネシア語もある。


この父権主義社会であるインドネシアに女性の対等な地位を求めて運動しているジェンダ
ー活動家は、ンプを語根にするプルンプアンという言葉は元来女性を偉大な存在として高
い地位に置き、社会から尊崇を与えられていたことを証明するものであり、その状態に回
帰するのが当然の道である、とかなり昔から主張するようになった。ンプという言葉はご
主人様やおかしらを意味しており、それに接辞の付けられたプルンプアンも同じ意味を持
っているのであるというのがその主張だ。

しかし、もしも語源がアンプだったのであれば、その主張はひっくり返ることになる。男
の世の中を下で支えているのが女だということであれば、今現在そうなっているではない
かという父権主義者の声が聞こえて来そうだ。

わたしもそれに似た可能性を推測した。ンプが所有者を意味するのなら、berayahが「父
を持つ」、beruangが「金銭を持つ」といった用法に倣って、berempuは「所有者を持つ」
という意味にならないのか、という推測である。そうなるとperempuanは「所有者を持っ
ている状態の抽象化」であり、女は娘時代に父親に所有され、結婚後は夫に所有されると
いうイスラム父権制度そのままの意味を示すことになる。

わたしが抱いたような推測をインドネシア人がだれひとり物語らない事実を前にして、こ
れは検証してみなければならない、という好奇心がわたしを駆った。

インドネシア語の接辞法にパラダイムによる整理と秩序付け、およびその一貫性を唱道し
ているアントン・ムリヨノ博士の論に則して、プルンプアンという語の内容を分析してみ
ることにしよう。[ 続く ]