「勝手にわたしを含めるな(前)」(2019年06月04日)

ライター: 人権活動家、第四代大統領の長女、アリッサ・ワヒッ
ソース: 2019年5月26日付けコンパス紙 "#TidakAtasNamaSaya"

結局暴動に至った5月21日の陳情行動に対する措置に関して、ひとりの著名人が国家警
察長官に激越な調子で「イスラム社会は怒っている」というスピーチを投げつけている短
いビデオがある。そのビデオを見ているとき突然に、#NotInMyNameという言葉がひらめ
いた。

私は急いでツイッターにふたつのツイートを書いた。ひとつはインドネシアのムスリムの
ひとりであるわたしの確信表明だ。インドネシアのイスラム社会が踏みにじられて怒って
いるというそのスピーチ内容に私も顔を出すよう強制されるのは嫌だという拒否である。
インドネシアのイスラム社会はまったくそんな情況でないとわたしは感じているのだから。

もうひとつは、民衆は大統領選投票結果を拒否しており、人民主権を行うのだ、という表
明に私が民衆のひとりとして担ぎ出されることへの拒否である。わたしも民衆のひとりだ
が、勝手に民衆の名において自分の意見を物語っているその状況に対し、#NotInMyName
のアイデアが頭に浮かんだのである。わたしはそれを#TidakAtasNamaSayaというインド
ネシア語に変えて、二つのツイートに添えた。


#NotInMyNameはイスラム社会の名において物申しているダエシュに反対するイギリスの
ムスリムグループが流行らせたものだ。2015年にパリで起こったテロ行動に反対する
ムスリム層がネット上での連帯を求めて使ってもいる。そのときひとびとは、テロ攻撃を
拒否するイスラム教徒のほうが多いことを示したかったにちがいない。

2017年にこのハッシュタグはインドのヒンドゥ社会で、牛肉を食べた非ヒンドゥ教徒
に対するストリートジャスティスに反対するために使われた。15歳のムスリムがカウビ
ジランテグループにリンチされて死んだのである。最初はそのリンチ事件を無視していた
インド政府も#NotInMyNameの反響の大きさに促されて、ストリートジャスティスの許さ
れる市民団体は存在しないという姿勢を打ち出してきた。


思いがけなく、#TidakAtasNamaSayaのハッシュタグを付けたふたつのツイートは凄まじ
い反響をあらわにした。インプレッションは2百万回を超え、数十万件の返信があり、ネ
ティズンが数千件のツイートを行うまでに拡大したのである。最終的にこのハッシュタグ
は膨れ上がってオーガニックトピックトレンディングの頂点に立った。つまり
#TidakAtasNamaSayaというアイデアはネティズンがマスで共有しているものだったわ
けだ。それは何を意味しているのだろうか?

ネティズンのひとりはこう書いた。「何カ月もの間、わたしが待ち望んでいたものがこの
ハッシュタグだ。わたしはムスリムだ。わたしはインドネシア国民だ。民衆の名において
・・・などとあなた方が言っている表明に対して、内容が何であれ、わたしは全面的な拒
否を表明する。わたしの宗教の名を使ってあなたがたの悪だくみを隠蔽することをやめろ!
#TidakAtasNamaSaya」

従来サイレントマジョリティだったひとびとの内心を、そのツイートは描き出している。
ハッシュタグ#TidakAtasNamaSayaは心理的境界線になることが可能だったために、かれ
らの意欲を伝えるチャンネルとして適切なものとなった。このハッシュタグ使用者は、自
分の利益のために普遍化を行うことに努めるひとびとの行動から自分を切り離すことを望
んでいるのである。[ 続く ]