「クントガンに想う(4)」(2019年06月13日) 日本語にも口蓋鼻音の/ng/は存在しているが、慣習として語頭に置かれることがない。本 質として同じ音を示す/ng/が語頭に置かれると、いきなり別の音形態に変化させることが 本当に正しい対処方法なのかどうか、わたしには疑問である。 わたしは/ng/が語頭に出現した時、むりやり/n/と/g/のふたつに音素分解させてしまうこ とに意義を唱えているわけだが、わたしが採用している口蓋鼻音の/ng/を口蓋破裂音の/g/ として表記するのが原音に近いのかどうかについては賛否両論あるにちがいないと思って いる。 ただ、日本語のガギグケゴには口蓋鼻音の[nga ngi ngu nge ngo]が異音として含まれてい るのは確かだから、日本人の口蓋鼻音発音が口蓋破裂音としてガギグゲゴで書かれる通例 をそこに当てはめたということに尽きるわけだ。音韻論と形態論の双方からこの問題を見 たとき、この方式のほうが原語により近いものではないかという気が、わたしにはするの である。 そろそろ、クントガンkentonganの話に移ろう。 クントガンとは木の幹や太い枝を長めに切り、縦方向にえぐって長く深い切れ目を入れ、 それを叩いて音を出させるツールである。発音器具だから楽器として使えるのは言うまで もないが、クントガンの主要機能はコミュニケーションツールとしてのものだった。 古来からインドネシアの伝統社会は、クントガンを使って村民への連絡を行い、あるいは 隣村との通信に使うというようなことを行っていた。住民の共同生活にとって重大な意味 を持つできごと、たとえば火事、天災、盗難、葬式、外部からの襲撃などの事件を早く、 且つ全員一律に伝えるためにクントガンを叩くことが行われたのである。そんな状況の中 ではクントガンが村という宇宙の中心の座を占めた。 クントガンはたいてい、物見やぐら、村役場、アルナルンalun-alun、その他の公共空間 に吊られており、共同体統率者が構成員を招集するのにも使われた。その叩き方によって 意味する事柄が決められていたのだ。非常呼集の音が村に鳴り渡れば、村民は続々と定め られた場所に集まって来た。 クントガンが打ち鳴らされるのは、すべての村人に筒抜けになるということだ。構成員の 間のヒエラルキーは完璧に無視される。村人の間に存在する経済力・教育レベル・職業・ 性向などの違いはそのとき一掃され、ひとびとは共同体構成員としての義務を呼び起こさ れ、横のつながりを再確認して一緒にものごとに当たる決意を新たにするのである。村人 を結合させ団結させる機能をクントガンは持っていたのだ。[ 続く ]