「カリマンタンとダイヤモンド」(2019年06月17日) 世界第三位の面積を持つカリマンタン島は、脊梁山脈をはさんで北側がマレーシア、南側 がインドネシアの領土になっている。昔はこの島の名称をイギリス人もオランダ人もボル ネオと呼んでいたが、バンジャル王国の王子がバンジャルマシンのオランダ人レシデンに 宛てた1857年の手紙の中でPulau Kalimantanという言葉を使っており、原住民もPulo Klemantanと昔から呼んでいたことから、インドネシア共和国独立後はカリマンタンとい うのが公式名称になった。 面白いことに、マレーシア側は相変わらず英語名称のボルネオをこの島全体の公式名称に しており、インドネシア側もカリマンタンを島全体の公式名称にしていることから、マレ ーシア側はボルネオ島のインドネシア領カリマンタン地域という用法を使い、インドネシ ア側はカリマンタン島のサバ・サラワク・ブルネイという使い方をしている。 クルマンタンの語源は諸説あって、マンゴの種類、種族名、サンスクリット語などさまざ まだ。それとは別に、宝石の川を意味する古代ジャワ語のカリマントゥン(Kali Manten) を語源と唱える説もある。 南カリマンタン州バンジャルバル市はダイヤモンドの産地だ。この地域で見つかったダイ ヤモンドは量が多いというだけでなく、サイズも大きいものが少なくない。1970年5 月、チュンパカ採鉱場で10カラットと15.5カラットのダイヤが見つかり、パラム採 鉱場では7カラットと16カラットが発見された。15.5カラットの原石は買い手が付 き、250万ルピアで販売された。当時の250万ルピアというのはコメ41トン及び 0人のハジ巡礼を賄うに足る金額だった。大型原石発見は決してそれが初めてではない。 当時のルピア対米ドル交換レートは378ルピア/USD。 1965年8月26日、ダイヤ採掘者たちはチュンパカ村でインドネシア史上最大の16 6.75カラットという巨大原石を発見した。Intan Trisaktiと名付けられたそのダイヤ は同年8月30日に国家に献呈され、スカルノ大統領が受け取った。当時の評価額は24. 8万米ドルあるいは350億ルピアと見積もられたものの、その採掘に関わった43人は 65年9月13日に2億ルピア、66年2月16日に2億ルピアを国からもらっただけで、 その後政権が変わったために忘れ去られてしまったようだ。65年8月のルピア対米ドル 交換レートは2,295ルピア/USD。 この巨大ダイヤモンド原石が今どこにあるのかは、ミステリーに包まれている。オランダ のさる博物館に所蔵されているという説もあるが、公式情報は何ひとつない。どうやらイ ンドネシア政府の国家資産台帳にも記されていないらしく、国の管理下に置かれていない のは明らかなようだ。 1969年8月10日にはチュンパカ採鉱場で27.25カラットのダイヤが見つかり、 Galuh Bulan(月の娘)と命名された。このダイヤは810万ルピアで販売された。当時 のルピア対米ドル交換レートは250ルピア/USD。 バンジャルバルのダイヤ産出が豊富なことを見込んだPTアシアトゴールマイニング社と インドネシア政府が1971年6月5日に南カリマンタン州におけるダイヤ採掘の協同事 業契約を結んだ。一方では、南カリマンタン州にダイヤモンドブームが沸き起こり、周辺 地域のゴム農園作業者がダイヤ掘り出しにどんどん集まって来る現象が発生し、1950 年以来稼働していたマルタプラのダイヤモンド市場は活況を呈するようになる。 この市場は今でも稼働しており、平日には1万人、休日・週末は2万人が訪れる国内最大 のダイヤモンド市場になっている。諸外国からも買付人がやってくるとの話だ。