「インドネシアで性転換手術(2)」(2019年06月19日)

この観念が女性に性欲を持つことを禁じ、そのあげく女には性欲がないという誤った考え
を男に植え付けてしまう結果さえ起こった。性的快楽を楽しもうとして男を性行為に誘う
女にどれほどの侮蔑と悪評価が与えられてきたか、それを物語るストーリーは世界に山を
成しているだろう。

そしてTだ。Tの問題には、LGBと異なる要素が関わっている。これは生まれてきたひ
とりの人間が、自分の肉体に備わった生理面での性別を否定する行為と見なされるのであ
る。神はあらゆるものごとを支配する決定者としてその人間の性別を定めたのだから、絶
対者が行ったことに対する反抗が許されるはずがないではないか。

これを認めれば神は無謬でなくなり、絶対支配者の位置から滑り落ちて行ってしまう。神
が絶対支配者であるという前提で組み立てられているイスラムのウンマーは、共同体社会
としての機能が穴だらけになり、崩壊の道をたどることになりかねない。イスラム宗教界
にとってそれがどれほど深刻な危険をもたらすものであるかは、非ムスリムにも分かるに
ちがいあるまい。


さて、イスラム教徒が全国民人口の88%を占めているインドネシアで、性転換手術は行
われ得るだろうか?既述のTの定義付けを見る限り、神が与えたもうた個人の性別を、人
間が手術を行って変えてしまうというロジックを性転換手術は持っているのである。ムス
リム医師が手術を行うのは神に対する冒涜にならないのか?Tに悩むムスリム国民が手術
を受けるのは、神に対する反抗にならないのだろうか?

イスラム教徒がマジョリティで、イスラムの慣習が大々的に行われているインドネシアに
ついての観念的な知識だけを持っているひとは、その問いに否定的なイメージをぶつけて
くるだろうが、インドネシアのイスラムの実情を理解しているひとは正反対の答えを出す
はずだ。

1975年5月24日、中央ジャカルタ市チプトマグンクスモ病院(略称RSCM)でベ
ニー・ルントゥウェネさん男性23歳の性転換手術が行われてベニーさんは姿を消し、ネ
ッティ・ヘラワティさん女性23歳が出現した。これがインドネシアの医学界で史上に残
る、はじめての性転換手術だった。手術費用は病院側が負担したそうだ。[ 続く ]