「スマトラ死の鉄路(2)」(2019年06月26日)

西スマトラ州の鉄道網がくぐっているトンネルは全部で4カ所あり、パダンパンジャン、
アナイ峡谷、ムアラカラバンとこのサワルントで、サワルントのトンネルが州内最長だ。

ムアラカラバンのトンネルというのはそこから更に東方のシジュンジュンSijunjung県ム
アロMuaroに至る26キロの線区が通るもので、サワルントのトンネルとはまた別になっ
ている。つまりムアラカラバンも線路が二方向に分岐する駅だったのである。ブキッバリ
サンの山中を通るムアラカラバン〜ムアロ線は切り出された木材を運搬するのが最大の目
的で、1924年3月1日から稼働が開始されている。

西スマトラ州鉄道史の詳細な資料があるので転記しておこう。州内で最初に作られた駅は
1891年7月1日にオープンしたパダン市内のプラウアイルPulau Airだそうだ。しかし
パダン駅とプラウアイル駅間は現在既に廃線になっていて、プラウアイル駅は今や廃墟の
ありさま。下のリストの日付はオープニング日。
Pulau Air - Padang Panjang  71km  1891年7月1日
Padang Panjang - Bukittinggi  19km  1891年11月1日
Padang Panjang - Solok  53km  1892年7月1日
Solok - Muara Kalaban  23km  1892年10月1日
Padang - Emmahaven  7km  1892年10月1日
Muara Kalaban - Sawahlunto  4km  1894年1月1日
Bukittinggi - Payah Kumbuh  33km  1896年9月15日
Lubuk Alung - Pariaman  21km  1908年12月9日
Pariaman - Sungai Limau  14km  1911年1月1日
Payakumbuh - Limbanang  20km  1921年6月19日
Muara Kalaban - Muaro  26km  1924年3月1日


オランダ人がエンマハーフェンと名付けたインド洋岸にあるパダンの外港トウルッバユル
は、インド洋が古代からスマトラ島西岸にとっての交易路であり、おまけに西洋人はほと
んどがインド洋を通って東インド諸島にやってきたという事情もあって、オランダ人にと
っては重要な商港であり、且つまた軍港でもあったのだが、しかしそれは日本人に当ては
まらない。

日本軍が東からやってきて東インド諸島を征服し、ブキッティンギにスマトラ全島を統括
する第25軍司令部を置いたとき、サワルント産石炭の需要はシンガポールからリンガ海
域にかけての一帯に起った。海軍連合艦隊艦船のための燃料としての需要がそれだ。
[ 続く ]