「スマトラ死の鉄路(3)」(2019年06月27日)

当然のことながら、西スマトラ州とリアウ州の州境に近いシジュンジュンのムアロまで鉄
道線路が来ているのだから、リアウ側に線路を敷いて州都プカンバルPekanbaruまで列車
が来れるようにすれば、もっとも効率が良い。ところがオランダ植民地政庁はリアウ州に
鉄道をまったく設けていなかったのである。

大きな川と湿地帯が平原部の大半を占めるリアウ州の交通は昔から水路が使われていた。
その地理的地質的条件で鉄道網を作るのは、工事の困難さを克服することと水路利用経済
よりも優れた結果が出せるかどうかというふたつの命題に明答を出せるのが必須条件にな
る。オランダ人にとって答えはノーだった。

オランダ人がサワルントの石炭をマラッカ海峡側にも送ることを考えなかったかと言えば、
そんなことはありえない。シアッSiak、カンパルKampar、インドラギリIndragiriなどに
流れ込む川を使う輸送法は例のないことではないが、大型船がブキッバリサンの山中まで
入り込めるわけがない。ケーブルカーのアイデアも出されたが、輸送量の限界が経済効率
を阻んだ。鉄道が最善であるのは当たり前のことだ。1920年代に何度か、西スマトラ
州ムアロからプカンバルまでの鉄道敷設計画書が作られたものの、植民地政庁はやはり最
終的にノーという答えを出している。

地理的地質的条件が悪いために、工費は膨れ上がる。その一方で、西スマトラからマラッ
カ海峡・南シナ海に鉄道を使って送って来ることで費用対効果が跳ね上がる物資がどれほ
どあり、その需要はどれほどなのか、という計算を単純に行ってみれば、オランダ人の判
断が常識的すぎるほどであることがわかるにちがいない。

日本軍はここでも「オランダ人が尻込みしたことをわれわれが実現させるだけの話だ。」
と叫んだのかもしれない。鉄道がサワルントの石炭をプカンバルまで運んでくれば、あと
はシアッ川の海運が利用でき、シンガポールやリンガ海は3百キロ以内の距離にある。

エンマハーフェンからスマトラ島の海岸線を半周してシンガポールへ向かうロスを望む者
はいない。おまけに日本海軍がインド洋の制海権を奪うのに失敗したために、スマトラ島
西岸海域は連合国海軍との最前線になっていた。そのリスクを冒そうと望む者もいない。
ムアロ〜プカンバル鉄道建設がサワルントの石炭を利用するための絶対方針になったのは
当然の帰結だった。

こうしてリアウのプカンバルと西スマトラのムアロを結ぶ220キロの鉄道線路敷設プロ
ジェクトが開始された。計画の詳細は、二十年ほど前にオランダ人が作り、最終的にボツ
にされた計画書が使われたという話になっている。

その工事のための肉体労働者として、ジャワ島をメインにして労務者が集められた。もち
ろん地元民も駆り出されている。ところがそれだけでなく、西スマトラの抑留者収容キャ
ンプにいたオランダ・イギリス・オーストラリア・アメリカ・ニュージーランド国籍の戦
争捕虜7千人弱も工事に駆り出されたと言われており、これも泰緬鉄道のケースと酷似し
ている。[ 続く ]