「スマトラ死の鉄路(終)」(2019年07月02日)

その場所は墓地になっていて、「鉄道記念碑労働英雄墓地」Monumen Kereta Api dan 
Makam Pahlawan Kerjaと名付けられている。英雄墓地Makam Pahlawanは国内あちこち
の町にあって国に貢献したひとびとが葬られているのだが、労働英雄墓地というのは全国
でここだけにしかない。

まるで社会主義国を思わせるような名称になっているものの、その種のものとは無関係で、
労働英雄というのは日本軍が徴用し、労働作業の中で没したインドネシア人労務者に捧げ
られた献辞だ。

1978年11月10日に時のリアウ州知事がオープンしたこの墓地には、24の墓があ
る。墓石を見ると、1944〜45年に死亡したトゥマングン、プカロガン、クブメン、
マディウン、ソロなどの出身者が葬られていることがわかる。

ここに葬られたひとびとは、遺体と身元が明確だった労務者の一部だ。8万人と言われて
いる死者の大半は、鉄道線路に近い場所に掘られた大きな穴に集団埋葬され、名前・出身
地・年齢などの確かな記録が作られることなく、リアウの土と化したものと推測される。

スブランタス・シスワント州知事がこの墓地を作ったのは、日本軍に使役されて生命を落
とした労務者たちを追悼するためだ。この墓地と記念碑は日本軍の暴虐行為への怒りを示
すものなのである。

知事がかれらに捧げた追悼の辞が記念碑に記されている。

「労働英雄」
やあ、民族の華たちよ
あなた方は支配者日本人に連れて来られた。働け、働け、働け
賤しめられたあなた方の運命
骨と皮ばかりでしかない肉体
あなた方はここで共に休息する
家族に知られず
名前もなく、葬礼もない
だが、あなた方の功績を民族は忘れない
労働英雄とはあなた方のことだ
おお、アッラーよ、かれらをあなたの膝に委ねさせたまえ
かれらに赦しと祝福を

1978年11月10日シンパンティガにて
リアウ州知事 RHスブランタス・シスワント
[ 完 ]