「異文化接触(前)」(2019年07月15日)

外国にはじめて暮らすとき、新環境への適応現象はだれにも必ず起こる。気候が違い、食
べ物が違い、水が違うのだ。インドネシアではじめて暮らす外国人にとって、トイレや浴
室の違い、水・食べ物の違いは最たるもののひとつだろう。そこに衛生観念の違いも入り
込む。昔インドネシアで暮らす外国人はほぼ例外なく下痢の洗礼に見舞われた。たいてい
は水が違うのだという理由を挙げ、医者までもがインドネシア新参外国人は水をたくさん
飲めとアドバイスした。

肉体的生理的な面から異文化に対する精神的な面に至るまで、ひとは新たな環境に直面し
て戸惑い、フラストレーションを抱く。そこには本人が意識しているものごともあれば、
意識下で本能的生理的な対応がなされるものごともある。


特に異文化に直面して精神面に起こるものがカルチャーショックだ。気持ちの準備ができ
ていない者ほど、ショックは激しい。マラン国立大学Eサットノ教授はクロスカルチャー
論の中で、カルチャーショックとその反応について、次のように語っている。

外国で長期間暮らすためには、さまざまな適応が必要になる。ショックを受けて、不安・
戸惑い・違和感などのとりこになったひとは特にそうだ。特に文化面での差異、ましてや
価値体系の衝突が発生すれば、乗り越えるのが難しくなる。言葉の修得は必須条件になる
が、非言語コミュニケーションも学ばなければならない。生活を通して獲得されるそれら
の知識と技能はたいへん深いものになるが、そうなるまでには長い時間がかかる。

ショックを体験すると、ひとは何らかのリアクションを行う。ポジティブなものもあれば
ネガティブなものもある。ネガティブなものとしては、それから逃げようとするか、もし
くは反抗しようとする姿勢だろう。異文化を拒否し、自分を殻の中に閉じ込め、更には望
郷に身を委ね、挙句の果てに隠遁主義に陥る。

拒否はまず自分に不快感をもたらしている周囲の生活環境に向けられる。郵便サービス・
家屋や家主・交通・電話・買い物・対人接触などの日常生活行動に不満が向けられる。し
ばしば見られるケースとして、周囲のネイティブは新参外国人の助けになってあげようと
いう善意を持っているのだが、言葉や態度などの障害によって何が問題なのかがよくわか
らず、一方の外国人本人は、周囲のネイティブが自分への同情心を持っておらず、自分が
こんなに苦労しているのにだれも力になってくれない、と不満を抱く構図だ。

次のフェーズで出現するのは回帰心理だ。自分の国はいい所だったという望郷の思いがそ
の本質である。安定し、満足し、自在に振る舞える故郷が一番だという過ぎ去った幸福感
が心に忍び込み、それに引き換えてここは・・・という不快感が一層強まって行く。自分
がいるこの国のあらゆる点が劣悪に見えて来る。

そして最後のフェーズが隠遁主義だ。自分の周囲に境界を築いて租界の中に安住し、極力
この国の種々のファクターとの接触を避け、よく似た外国人同士が集まってその租界の住
民となる。この国のあらゆるものごとが自分にフラストレーションと戸惑い、そして不安
や痛みをもたらすのだから、そのようなものごとにかかずらわない租界の中で楽しくやる
のさ。

かれらは概して異文化への適応能力が不十分なのだから、インドネシアにとっての外国人
が国籍を問わず睦み合うという姿は自己矛盾にちがいない。現実にインドネシアの諸都市
に見られるのはリトルアメリカであり、リトルジャパンになっている。[ 続く ]