「異文化適応と祖国愛(前)」(2019年07月17日)

祖国愛は民族主義と趣を異にするものだ。自分が生まれ育った風土とその文化に向けられ
る愛は、自分のアイデンティティとして精神面の基盤に置いた民族あるいは国民という抽
象観念を優先的価値判断基準にしようとすることとはまるで違うとわたしは思う。

何らかの要因で異郷異文化の中に住むようになった人間は、祖国愛を保ちつつ異郷で暮ら
すことにたいした波風は立たないだろうが、自己の民族主義を抱えて異民族の中で暮らす
のは苦しく嫌なことのほうが多いのではないかとわたしは想像してしまう。


異文化者の混交結婚が起こると、夫あるいは妻が異郷で暮らすケースが必ず起こる。ふた
りとも異郷で暮らすことは大いにありうるのだが、その場合異文化への適応という面では
ふたりがフェアな立場に立つから、ここでの話からは除外したい。つまり一対の夫婦のど
ちらかが異文化適応を強いられることになるというテーマがここでの話なのだ。そして更
に、その混血の子供が新たなファクターをそこに持ち込むことになる。

外国で混交結婚した日本人の夫と東南アジア人の妻というカップルがあり、日本に住んで
異文化適応に全力を挙げて努力していたその妻が、東南アジア人だというだけの理由で侮
蔑されて、努力しようとしていた気持ちをへし折られたケースがある。

日本に住んだ東南アジア人は、日本文化独特の人種差別や異文化差別が暮らしているうち
にだんだんと目に見えるようになってくる。他にももっとさまざまな理由はあったのだろ
うが、最終的にかの女は日本に骨を埋めることをよしとせず、夫の没後、永住を拒んで子
や孫の住んでいる日本から故国の一族のもとへ帰って行った。そして、血肉を分けた最愛
の子や孫に看取られることなく、その寂しい生涯を終えたのである。子や孫はかの女の墓
にしか詣でることができなかったのだ。

祖国愛がかの女のそんな死に方を強いたわけでは決してないとわたしは思う。異郷異文化
への適応がもっとも基本的な線における快適さをもたらさなかったとき、ひとはきっと祖
国愛に縋らざるをえなくなるのだろう。

母親と父親の両言語を日本で同じように使えていた子供が幼稚園へ行くようになり、幼稚
園の級友たちの「あの子はときどき変な言葉をしゃべる。」という差別意識のこもった待
遇に直面して、子供が母親に「日本語以外しゃべらないでくれ。」と求めた実例も耳にし
ている。

異文化適応というのは本人の側だけの問題ではありえない。入って行こうとした異郷異文
化が持っている性格については本人にどうしようもない問題なのである。だからと言って、
それを運不運という単純な切り口で決着させてよいものだろうかという疑問がわたしから
離れない。


祖国愛というものは、自分が生まれ育った風土と文化が自分にとって快適であることが愛
を育む絶対条件だろう。生活の場における文化の受容というのは、そのほとんどに人間が
介在しているようだ。つまり祖国愛という概念の中に登場する人間とはかれらのことなの
であり、必然的にかれらの性格が祖国愛に影響を及ぼすことになる。

自分が生まれ育った自然や社会の環境があまり快適なものでなかったとき、祖国愛はどの
ような形をとるのだろうか?山河は好きだが、人間はどうも・・・という祖国愛はありう
るのだろうか?[ 続く ]