「テルナーテの旅(前)」(2019年07月22日)

ガマラマGamalama火山が作った島の海岸に生まれた町、それがテルナーテTernate。テル
ナーテには歴史の足跡がたっぷりと残されている。世界に稀な産物、西洋人が血みどろに
なって奪い合ったスパイスが、その歴史の重要な源泉のひとつだ。

北マルク州が1999年10月にマルク州から分離した時、テルナーテに州都が置かれた。
その後州都はソフィフィに移されて、テルナーテは昔ながらの商港の地位に戻されている。

島の周囲はわずか55キロの海岸線。一時間ほどで一回りできると地元民は言う。中央に
そびえ立つ活火山のガマラマ山は、kie gam lamo(偉大なる国)という言葉に由来してい
るそうだ。もっとも古い噴火の記録は1538年で、それ以来数十回の噴火記録を作り、
直近は2018年10月となっている。


この島に残されている歴史の足跡には、テルナーテ王国の王宮もあれば、石造りの要塞も
ある。建築物は概してよく保存されており、地元経済にとって有益な観光資産と見られて
いるようだ。

西洋人が作った要塞のまず筆頭にあがるのは、ポルトガル人が20年という歳月をかけて
1522年に完成させたカステラKastela要塞だろう。ポルトガル人はそれをNuestra 
Senora del Rosarioと命名したが、地元民にはカステラ要塞あるいはガムラモ要塞という
名前のほうがよく通る。

この要塞はテルナーテの町から13キロ離れたカステラ村にある。残念なことに建築物は
ほとんど崩れ落ちており、塔と稜堡および濠の一部だけが現存するすべてだ。

カステラ村を訪れるなら、ついでに近くのカステラビーチを夕方訪れるのがよい。カステ
ラビーチは定評のあるサンセットスポットで、水平線に沈んで行く夕陽を思う存分鑑賞す
ることができる。

カステラ要塞の姿を見て失望する必要はない。この島にはまだまだたくさんの生き残った
要塞が観光客を待ち受けている。トルッコTolucco、フォートオラニェFort Oranje、カラ
マタKalamata、コタジャンジKota Janji、サントサSantosa、タラガメTalangame、タコ
メTakomeなどが目白押し。

地元民はトルコToluko要塞と呼ぶトルッコ要塞はテルナーテの町の中心部から北側のドゥ
ファドゥファ町の高台にあり、テルナーテ王宮からは2キロしか離れていない。ポルトガ
ル人がテルナーテ王に味方してティドーレ王国との戦争を優位に導いた時代の産物ではあ
るが、歴史の変遷は皮肉な事態を招き寄せるものだ。

オランダ人がポルトガル人をマルク地方から追い払ったあと、オランダ人はこの要塞の名
称をホランディアHolandiaと変え、1610年に大改装工事を行っている。オランダ人は
この要塞からテルナーテ王宮内の動きを逐一監視していたにちがいない。

昔ながらの姿が維持されているこの要塞からはテルナーテの町を見渡すことができ、さら
に遠方に目を転じれば青い海とその向こうに横たわっているハルマヘラHalmahera、ティ
ドーレTidore、マイタラMaitaraの島々を遠望することができる。


地元民がカダトンKadatonあるいはクダトンKedatonと呼んでいるテルナーテ王の宮殿に
は、現在もテルナーテのスルタンとその一家が住み暮らしている。ヨーロッパ様式の今の
宮殿は、17世紀に建てられた宮殿を1813年に建て直したものだ。[ 続く ]