「ジレンマをもたらす国民テロリスト(2)」(2019年07月22日)

かれらの社会ステータスの高さは、治安当局者をはじめ、一般社会によく見えていない。
左翼作家アントニオ・グラムシの言葉を借りるなら、かれらは有機的知識人と呼べる存在、
つまりかれらの階層の中から生まれた知識人にしてインドネシア共和国統一国家の政治シ
ステムに対するカウンターヘゲモニーを実践する能力を持っている者であるということだ。

かれらはいまだ領土を持たない影の国の住人なのである。それゆえに、かれらはインドネ
シア人として生まれたにも関わらず、かれらの政治イマジネーションは民族国家を超越し
ている。言い換えるなら、かれらは自分たちを国際的なイスラム連帯にコミットしている
グローバルウンマーという政治制度の一部であると感じている。その視点がもたらす影響
のひとつは「イスラム民衆の苦難は、その場所がどこであれ自分たちの苦難である」とい
う確信だ。

かれらにとっては、アフガニスタン・イラク・シリア・パレスチナ・ロヒンジャのムスリ
ム女性と赤児の泣き声と、比較的安全で落ち着いた状況のインドネシアにいる自分たちと
の間に、地理的な距離は存在しないも同然なのである。かれらはどこであれ、地上にある
ウンマーの苦難を想像して、クヌッナジラ(救いを求める特別の祈り)を唱えながら涙を
流す。


しかし恐怖マネージメントは短期間しか効果を持たない。そのわけは、このコンフリクト
同窓生たちの多くがその後、善良な父や夫、信徒から尊敬されるウスタズ、マーケットで
成功している商人、民衆社会の諸問題に解決をもたらす社会活動家、さらには博士号を取
得した知識人にすらなって、社会に溶け込んだ一員として暮らしている事実のせいだ。そ
れどころかかれらの中には、アリ・イムロンやナシル・アバスのように、治安当局のコン
サルタントになって、インドネシア共和国統一国家に対するカウンターヘゲモニーを実践
している現役コンフリクト同窓生たちのダイナミズムをより的確に理解させるべく努めて
いる者もいる。

<善玉ウイルスへの変身>
国際コンフリクト同窓生のすべてがそのままのテロリストという履歴を続けているわけで
ないことを、上の論議によって暫定的な結論と見なすことができるだろう。インドネシア
に戻って以後のかれらの人生はさまざまであり、その社会環境(体験分野)や学習内容
(参照分野)がそこでの違いをもたらしている。つまり、かれらの社会コンタクトとその
プロセスに対する理解が重要だということだ。テロリストであり続けるのは、ダルアルハ
ルブ(戦地)でジハードを行うジュンドゥラ(アッラーの兵士)としての自己と、ダルア
ッディワルアムニ(合意された安全な地)であるインドネシアで生きる自己との間のアイ
デンティティの調和に失敗した者がたどる道なのである。[ 続く ]