「テルナーテの旅(後)」(2019年07月23日)

カダトンの用人アブドゥラ氏の許可を得れば、観光客は中を見学することができる。スル
タン家のコレクションを陳列してある部屋には、歴代のスルタンに寄贈された価値のある
皿や壺、古い写真、絵画、系図、武具、鏡や家具などが置かれている。宮殿のバルコニー
からは、街の中心部、王家のモスク、そして広い海を眺め渡すことができるのである。


建物の維持保存がよくできている他の要塞は、バスティオン町カラマタ通りにあるポルト
ガル人の建てたカラマタ要塞。四つのバスティオン(稜堡)で構成されている要塞の中に
は泉があり、また階段で上に昇ることもできる。

しかし観光客のもっとも多い要塞はテルナーテの町中にあるフォートオラニェ要塞だ。マ
カッサルのフォートロッテルダムをほうふつとさせるこのテルナーテ最大の要塞はオラン
ダVOCが1607年に建設した。そこには元々ムラユ人が建てた要塞があり、VOCは
マルク支配の要となるこの地に会社の現地経営本拠を置くためにそれを堂々たる要塞に作
り替えた。最初は通称マラユMalayu要塞と呼ばれていたがフォートオラニェが公式名称と
され、ヤン・ピーテルスゾーン・クーン第四代総督がバタヴィアに本拠地を移すまでは、
VOCの東インドにおける本拠地として機能した。


おっと、歴史観光にうつつを抜かしてスパイス見学を忘れてはならない。町の中心街から
車で15分くらいの距離にあるトゴレTongole地区にまだ生き残っている樹齢200〜2
50年のチュンケアフォ(cengkeh Afo)を見に行こう。アフォとは地元の言葉で巨木や老
木を意味している。その木の親の世代は416歳で朽ちたそうだ。

ガマラマ火山の中腹にある幹の周囲およそ4メートルのクローブの老木も観光コースにな
っていて、その周辺は観光客向けに整備され、地元民が店開きしている。この木に関する
詳細は次の記事でご覧いただけます。

「クローブ原産地は北マルク」2019年2月14〜18日
http://indojoho.ciao.jp/2019/0214_2.htm
http://indojoho.ciao.jp/2019/0215_2.htm
http://indojoho.ciao.jp/2019/0218_2.htm


北マルクのクローブは有史以来、世界中で貴重な資源とされ、黄金より高い価値を持って
いた。需要のあるところへ商品は流れて行くものであり、ヨーロッパ人がアジアへやって
くるはるか以前から、アラブ・インド・中国の商船が訪れるマラッカ・ジャワ・マカッサ
ルなどの大型中継港に域内の商船群がフィーダー輸送を行っていた。もちろん遠方から来
た大型商船がテルナーテの港にやってきても歓迎されたのは間違いのないところだ。

1322年から1331年までテルナーテの王位に就いたシダ・アリフ・マラモSida Arif 
Malamo王の時代、テルナーテのタラガメ港はクローブの交易で大いに繁栄した記録が残
されている。そのタラガメ港は現在のバスティオンBastiong港で、今は中小型船の入る小
規模港になっている。だが当時のテルナーテの港は大型中継港の態を成していないにも関
わらず、立派な国際商港として機能していたのである。


ヨーロッパ人が万里の波涛を越えてマルクにたどり着いたとき、テルナーテはそれまで通
りの習慣を続けた。スパイスを買い付けに来る商船はそれが何民族であれ歓迎されたので
ある。ところが平和に通商交易を行っているアジア諸国のひとびととヨーロッパ人が異な
っていたことが次第に明らかになってくる。それまで続けられていた平和な通商交易は姿
を消して、凄絶悲惨な時代の幕開けがやってくるのである。テルナーテの町は人類が刻ん
だそんな歴史の生き証人として、われわれに教訓を物語っているにちがいない。[ 完 ]