「アムラン要塞(後)」(2019年08月12日)

最終的にオランダVOCが1660年にミナハサの地の支配権を握り、マナドを本拠地に
した。アムランのポルトガル要塞はたびかさなる戦争で大きく破壊されていたため、オラ
ンダ人はアムラン要塞を見捨てて朽ち果てるにまかせた。


現存しているアムラン要塞はゴロンタロ文化遺産保存館の管理下に置かれているが、入り
口が永久閉鎖されているため誰も入ることができない。中に何があり、どうなっているの
かを知るすべがないのだ。要塞の壁には穴があるが、蛇の巣になっているためそこを通ろ
うとする者もいない。

このD字型の建造物は周囲につながっていた建造物から切り離されて孤塁になっている。
元々は北のブルヴァル通りから南のシャロムセントルムまでの広いエリアを占めていたの
だが、この孤塁だけが遺跡として残され、他は町役場・税関事務所・県保健局などに変え
られた。真裏にある建物は刑務所として使われていた。しかし数年前に刑務所は別の場所
に移転し、そのあとは法務人権省の生活協同組合が使用している。

壁の上にあった9基の大砲もあちこち別の町に移されてしまって、ここには何も残ってい
ない。周囲のパサルや物売りの賑わいと、どんどん建設される新しい建物のおかげで、ア
ムラン要塞はますます街の中に沈没しかかっている印象が濃い。

しかし南ミナハサ県令はアムラン要塞に生命を吹き込もうと意欲に燃えている。旧刑務所
建物を元のようにD字型建造物につなぎなおし、刑務所側を正門にする構想だ。パサルは
別の場所に移して、歴史観光スポットに適した環境に変える。各地に持って行かれた大砲
は返してもらう。

問題は用地買収で、いったいどんな経緯でこうなったのか不明だが、元々の広いエリアが
住民の所有地になっているため、元来公有地だったものを県が住民から買い戻さなければ
ならないことになる。

旧刑務所建物とD字型建造物の間は地下道がつながっているという話が情報として伝わっ
ている。ところがその地下道は地元民がセプティタンseptic tankとして排泄物を流し込ん
でいるという話もあり、県令の構想はなかなか一筋縄では行きそうにない。

南ミナハサ県はアムラン要塞の復活について、管理者のゴロンタロ文化遺産保存館へのコ
ンタクトを開始しているが、管理館の方は実現性の乏しい案だと県側の構想を見ている。
要塞建物の再生はきわめて困難であり、たとえそれを行っても周辺の土地は住民の所有地
になっているため十分な遺跡サポートゾーンが得られそうにない。管理館はアムラン要塞
に関して、現状の姿のまま維持保存し、その場所にアムラン要塞が建てられたという歴史
の経緯を紹介する方針であるとのこと。[ 完 ]