「ひだり恐怖症(前)」(2019年08月15日)

ライター: ドゥリヤルカラ哲学院哲学修士、研究員、イグナティウス・ハルヤント
ソース: 2016年3月5日付けコンパス紙 "Ketakutan akan Kiri"

「左折Belok Kiri」フェスティバル兼展示会をいくつかの大衆組織が強く反対したことで、
首都警察がその実施を禁止した。2月27日の展示会開会式で抗議デモが展開されたのだ。

この事件は、「左翼」とそれを覆っている神話に対して多くの集団が持っているフォービ
アの存在を示す例証的出来事のリストをまた長いものにした。警察さえもが大衆組織の要
求に従う方を好み、その催事の実施を敵対者から保護するよりも、催事自体を閉鎖させる
ことを選択したようだ。

< 歴史を学べ >
歴史の書物を読んで欲しい。インドネシア共和国建国の父たちの伝記を読むべきだ。その
大部分は左翼系だったのだから。ここでの「左」の位置付けは、20世紀の最初の十年間
にジャワ島で、そしてオランダ本国でも同様に叫ばれていた反植民地主義論議の出現とし
て見ることができる。その推進者はインドネシア協会Perhimpunan Indonesiaに所属する
学生たちであり、モハンマッ・ハッタがその会長を務めたこともある。

その時期に建国の父たちが書いたものを読むなら、左傾が民族としてのインドネシアの誕
生と分離できない、一体化したアイデンティティだったことをわれわれは認識するだろう。

さらに歴史事件に目を向けるなら、共産党が起こした1926年蜂起は、未熟な時期だっ
たために失敗したにせよ、オランダ植民地主義に対する最初の反乱行動のひとつと呼べる
ものだ。

若いころから大統領としての晩年に至るまでの間にスカルノが行った演説を聞いてみれば
よい。かれは米国が怖れ、ロシアや中国が畏敬した左翼大統領だった。タン・マラカも忘
れてならない人物だ。頻繁に地下に潜伏した組織活動家で、その著作はいまだに伝説的な
存在になっている。

モハンマッ・ハッタもアンチ左翼思想ではなかったし、インドネシア共和国初代首相にな
ったスタン・シャッリルも同様だ。そうそう、支持政党とその党首にバックアップされて
スカルノ精神の継承を看板に掲げている現政府についても同様であることを付け加えてお
こう。

< ひだりは必要 >
左翼と右翼は往々にして真っ向から対立するイデオロギーであり、その両者の基本概念を
この小論で総合的に解説するのは無理がある。左翼思想の概略としては、批判的・進歩的
であって不平等な社会構造を問いただすといった特徴を持つ一方、右翼思想は現状維持を
正当とみなし、エスタブリッシュメントを志向し、資本拡大主義者で、宗教に回帰する傾
向を持っている。申し訳ないが、粗雑で簡略な定義はそのようなものだ。

日常生活面に飛躍するなら、左と右はそのどちらもが必要とされている。自動車は右側の
タイヤだけで走行することができず、左側も必要になる。天秤はかりは右側だけあればよ
いのではない。バランスを取るために左側も不可欠になっている。右手と左手は人間の日
常の用をまかなうために神が両方を与え給うたものだ。[ 続く ]