「ひだり恐怖症(後)」(2019年08月16日) 状況が百パーセント右に引っ張られないようにするために、左は調和の維持を図って警告 者やバランサーの役割を果たす。思想の世界では往々にして右翼に代表されるところの資 本主義(またまたこの単純化をお許し願いたい)が、弱点を示し、代替理論をもたらし、 資本主義経済の実践から取り残された社会集団が存在することを思い出させる左翼思想を 必要としているのだ。世界は勝者(資本を持つ者)だけのものではなく、すべての社会階 層がそこに住む権利を持っているのである。 インドネシアではかつて、マルクシズム・コミュニズム・レニニズムの教えを禁止する1 965年国民協議会決定が公式に存在した。その1965年国民協議会決定書は、グス・ ドゥル大統領時代に取り消しの努力がなされたものの、今日に至るまで生き延びている。 たとえそうだとしても、1965年国民協議会決定書の内容は今日において、既に妥当性 のかけらさえ失われてしまっているものではないのだろうか?まず、並べられたその三イ デオロギーは共通の息吹を持つものではない。マルキシズムがコミュニズムとイコールで あるとは言えず、コミュニズムがレニニズムとひとつであると言うこともできないのだが、 その論証には長く詳細な解説が必要になる。興味を持つひとは、たくさんの書物を読むこ とでそれら個々のイデオロギーの姿がより明確に浮かぶようになるだろう。 もっと重要なのは、三イデオロギーのうちのふたつが失敗であったことが証明されている 事実である。マルクシズムすらたくさんの批判を浴びていて、その継承者はコンセプトの 修正を余儀なくされているのだ。 < ファシズムに警戒せよ > 現実に、左翼思想(マルクシズムに由来するものばかりではない)はグローバル資本主義 やデジタル資本主義の問題にバランスをもたらすものとして必要とされている。わたしに は、諸方面が問題解決策として頻繁に持ち出してくるファシズムイデオロギーのほうがも っと心配なのだ。 ドイツで発禁措置が取られているヒトラー著の「わが闘争」がインドネシアで禁止されて いないことを忘れてはならない。それどころか、わたしがもっと脅威を抱いたのは、その 書籍がある時期、1万数千冊も印刷されてインドネシアの書店でベストセラーのひとつに なったことだ。 「ひだり」思想が学術プロセスの一部であり、代替思想を提案し、現実に起こる現象の把 握に使われる限り、どうして「ひだり」思想を怖れなければならないのだろう?そこに暴 力行為を呼びかける振る舞いは見られないというのに。 懸念されるべきは、「左折」フェスティバル兼展示会の反対者が明らかにファシズムの手 法を示し、国家治安組織がそれに賛同を与えたことである。われわれは相変わらずこの国 を民主国家だと考えているのだろうか?よくよく考えるべきだ。[ 完 ]